国防とは「人」である。

国防とは「人」である。
我が国の命令権者に肝心の「人」が欠落している。

この度の統一地方選挙の後半選挙の期間中に、書き込んだ三通の記事は、
すべて四月九日19:00に三沢基地を飛び立ち、
二十分後に太平洋上で消息を絶ち、
尾翼の破片だけが海に漂っていた
細見彰里三等空佐(少佐)が操縦する
F35Aステルス戦闘機に関するものであった。
その理由は、
このF35Aステルス戦闘機墜落に関する
防衛大臣統合幕僚長そして官房長官の発した声明に
怒ったからだ。
こいつら、
「ご迷惑をかけました」
としか言えんのか!と。
この怒りと同時に、
痛烈に感じたのは、
彼らのこの情けない言動が明らかにした
我が国の国防を支えるマインドの欠落である。

彼らも安倍内閣も、そして、マスコミも、
口をそろえて国防は政治の最重要の任務であるという。
しかし、国防とは
「装備」のことだけではない。
F35Aは一機百四十億円だとマスコミのように繰り返すことではない。

重要なのは「人」である。
国防を支える国民(人)の意識、
国防を担う軍人(人)の意識
軍人に命令を発する
総理大臣、防衛大臣統合幕僚長(人)の意識と能力
ここに国防、
即ち国の運命がかかっているのだ。
特に、
国防を担う軍人は、
「士は己を知る者のために死す」
という言葉通り、
国防を支える国民と命令を発する人が
「己を知る」時にこそ、
勇敢に国防の任務を尽くすために
「死地に赴く」のだ。
この観点から、
ただ「ご迷惑をかけました」と言うだけの者達に怒り、
同時に、
我が国の国防の危うさに愕然としたのだ。

次に、斯くの通り怒り愕然とした私が、
その時、思い起こしていた軍人のコメントを記しておく。
ともにアメリカ軍の司令官の日本での言動である。
我が内閣と自衛隊の中枢の
「事故」に対して繰り返される情けない言動を見れば、
残念であるが、
アメリカ軍を見習えと言わざるを得ない。

(1) 
アメリカ太平洋軍司令官ハリー・ハリス海軍大将
来日中の平成二十九年五月十五日に
患者搬送の為に札幌から函館に飛行中の
陸上自衛隊LR連絡偵察機が山に激突して墜落した。
そして、機長(一等陸尉・大尉)、副操縦士そして二名の整備員の四人が殉職した。
ハリー・ハリス司令官は、十七日に都内で講演し、
その最後を次のように締めくくった。

「十五日に陸自の航空機が墜落し隊員が犠牲になった。
この事故で思い起こさねばならないのは
若い隊員が、われわれのために、日々、命をかけてくれていることだ。
日本を守るための命であったことを、
みなさん、覚えておいてほしい。」

なお、ハリー・ハリス司令官は、
一九五六年に横須賀でアメリカ海軍下士官を父に日本人を母として生まれた。
現在、駐韓アメリカ大使を務めている。

(2) 
アメリカ第三海兵遠征軍司令官ローレン・ニコルソン中将
この部隊は、
アメリカ太平洋軍隷下の部隊で沖縄に駐屯している。
平成二十八年十二月十三日、
海洋上で訓練中のオスプレイの回転翼が給油パイプに接触する事故を起こし、
事故機は、急遽普天間基地に帰還しなければならなくなった。
その際、陸路を飛行すれば速やかに基地に戻れたが、
市街地上空を飛ばねばならないことから
五人の搭乗員は
海の上を飛行して基地に戻るルートを選択した。
しかし、
基地手前の海の浅瀬に墜落し、幸い乗員五名は救助された。
このオスプレイの事故に関し、
沖縄県知事は、直ちに上京してオスプレイの危険性を訴え、
副知事は、ニコルソン司令官に面会を求めて「厳重抗議」し、
防衛大臣は、アメリカに「原因究明と情報開示」そして「オスプレイの飛行停止」を求めた。
マスコミもオスプレイの危険性を喧伝した。
以上、日本側には
搭乗員達の市街地を避けた決断と努力に目をむける者はいなかった。
この日本側のプロパガンダ的「抗議」のなかで、
ニコルソン司令官は、
次のコメントを発した。

「よく訓練されたパイロット達の、
素晴らしい判断で、
最悪の事態を避けることができた。
若いパイロット達は入院中です。
私は彼らを誇りに思います。
航空自衛隊海上保安庁をはじめ、
日本や沖縄の関係部所の迅速な対応に感謝します。

 

平成31年4月23日(火)

西村眞悟FBより。