大嘗祭の神秘

令和1年5月15日(水)

五月一日から新しい御代が始まり、
世間では、我が皇室の歴史と伝統に基づく皇位の継承は
終了したかのごとく思われているが、
未だ、我が国の最も深遠で神秘につつまれた最重要の儀式がある。
それは、
新帝が天照大神と一体になられる
大嘗祭
である。

大嘗祭は、
十一月十四日と十五日の二日間行われる。
この二日間、新帝は、お一人で、
新たに建てられた悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)に籠もられる。
そして、
「同床共殿」、
即ち天照大神と食事と寝床を共にされる。
天皇は自ら
天照大神の御膳を作られ、御自分のものも作られて
天照大神と共に食事をされる。
夜は特別な麻の織物を体に巻かれて
天照大神と共にお休みになる。
つまり、この二日間で新帝は、
天照大神と一体の「現人神」になられる。
この大嘗祭は、
太古から伝わる神秘な天皇が神とつながる儀式であり、
これによって、新帝は真の天皇となられる。
侍従長といえども、この大嘗祭を見ることはできない。

以上、京都の学生寮時代からの友人である
鬼塚禮兆君の講演録「新しい元号を迎えるにあたって」に教えられて記した。
この大嘗祭で、新帝のところに降りてこられる天照大神を、 
フランス人オリビェ・ジェルマントマ(ド・ゴール研究所初代所長)が
先年の伊勢神宮式年遷宮に参列して、目の当たりに「感じ」、
次の一文をフィガロ紙に寄稿している。
天皇の祖、天照大神は、普遍的な神秘を湛えていることを示す一文である。

「闇と沈黙のなか、女神アマテラスを聖櫃に奉じ、
これに生絹を掛けて神官の群れが粛々と運んでゆく。
生きとし生けるものの起源そのもののシンボルが、
いま、眼前を通りすぎていく・・・
この景観に、われらの小我の殻など、微塵に吹っ飛んでしまう。」

大嘗祭は、天皇がこの天照大神と一体になる神秘なる儀式なのだ。

さらに、以下は、
この皇室の神秘な歴史と伝統を受け継いだ儀式に対して、
我が国の内閣が、何を拠り所として何をしていたのかを書いたもので、
月刊日本」六月号に寄稿した一文に加筆したものである。


四月三十日に第百二十五代明仁天皇が譲位され、
五月一日に皇太子徳仁親王万世一系皇位を践(ふ)ませられ
第百二十六代天皇になられた。
国民は、連休の中で、
先帝が皇位を譲られることを親と別れる子のように寂しがり、
新帝が皇位を践まれることを歓び祝福した。
 
渡部昇一氏は、
我が国が「日本」であるのは、天皇と神社があるからだ、と言われた。
従って、この度の皇位の継承において、
民族生命の原始根源のものが、最終的に大嘗祭を以て継承されるということだ。
それは即ち、
天照大神の「天壌無窮の神勅」に基づいて
初代の神武天皇から百二十五代続いてきた皇位である。
つまり、
百二十五代にわたる歴代天皇天照大神の生き通しであり、
今上陛下はそれを受けて、まさに今、
初代の神武天皇と一体の天照大神の「天壌無窮の神勅」を受けた第百二十六代天皇となられる。これ、神話と現在の連続性であり、神話のみずみずしい甦りである。
 
フランスの社会人令学者クロード・レブィ=ストロースは、
日本について次のように言っている(一九一一年「日本論月の裏側」)。

「かくかくの影響を(シナ、欧米から)受けるまえから、
あなた方は一個の文明をもっておられた。
すなわち、『縄文文明』を。
それを他の何に比較しようとしてもできるものではない。
ここから私はこう云いたい。
日本的特殊性なるものがあり、それは根源からしてあったのだ。そしてそれが外部からの諸要素を精錬して、つねに独創的な何者かを創りあげてきたのだ、と。
われわれ西洋人にとっては、神話と歴史の間に、
ぽっかりと深淵が開いている。
日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、
そこでは誰もが歴史とも神話とも密接な絆をむすんでいられるという点にあるのだ。」
 
そして、この「神話と歴史の間に深淵が開いている」西洋人が、約百年前に指摘した、
我が国における「神話と歴史の密接な絆」が現実に生きていることが
目の当たりに顕れたのが、
この度の大嘗祭に至る御代替わりだ。
しかも明らかなように、
これは古に還ることではなく
新たな時代に踏み出すことだ。
哲学者の西田幾多郎昭和天皇に次のように御進講した通りである。

「歴史は、いつも過去・未来を含んだ現在の意識をもったものと思います。
ゆえに私は、我が国においては、
肇國の精神、神武天皇の建国事業の精神に還ることは、
ただ古に還ることだけではなく、
いつも、さらに新たなる時代に踏み出すことと存じます。
復古ということは、
いつも維新ということと存じます。」
 
では、日本人は、
いつから「神話と歴史の密接な絆」を自覚したのであろうか。
それは、万葉集や八世紀の「宇佐八幡の神託」で明らかなように太古からである。
神皇正統記」の冒頭がそのことを確認している。

「大日本(おおやまと)ハ神国也、
天祖ハジメテ基ヲヒラキ、日神ナガク統ヲ傅ヘ給フ、
我国ノミ此事アリ、異朝ニハ其タグヒナシ、
此故ニ神国ト云也」
 
先帝陛下は、
この度の譲位の御意思を国民に直接語られた平成二十八年八月八日の「お言葉」において、
「伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し」
と言われているとおり、
この度の譲位と践祚の儀式(神事)は皇室の伝統に基づいて行われたと思う。
皇室のその儀式(神事)を観ることはできないが、
天皇が太古からの衣装を身につけられて宮中三殿の廊下を進まれるお姿を垣間見れば、
まさに古来からの伝統に基づく
侍従も見ることはできない秘儀(神事)が行われている。
 
そこで、
この我が国の「神話と歴史の密接な絆」からもたらされる伝統に基づく
皇室の譲位と践祚そして大嘗祭の儀式と同時に、
もう一つ、
我が国政府主導による別の異質な一連の行事があることを指摘することによって、
我々が克服するべき
文明の衝突」ともいうべき根源的な課題を明らかにしたい。
即ち、この度の御代替わりにおいて、
我が国の神話と不可分な「日本の歴史と伝統」に基づく流れと、
政府が依拠する「日本国憲法」(以下、正確に「マッカーサー憲法」という)に基づく流れとの相剋が顕在化しているのだ。
 
皇后陛下は、直ちにその相剋を直感された。
皇后陛下は、
陛下の「お言葉」から二ヶ月後の十月二十日の御誕生日のお言葉において、
次のように言われた。

「この度の陛下の御表明も謹んでこれを承りました。
ただ新聞の一面に
生前退位
という大きな活字を見たときの衝撃は大きなものでした。
それまで私は、歴史の書物の中でも、
こうした表現に接したことが一度もなかったので、
一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません」
 
この皇后陛下に、
衝撃と驚きと痛みを感じさせたものこそ、我々が直面する克服すべき課題である。
その克服すべき課題とは、
天皇」即ち「日本」より、
マッカーサー憲法」を盲従する戦後政治そのものである。
皇后陛下は、
聖徳太子の十七条憲法の三に曰く「承詔必謹」(詔を承れば必ず謹め)の教え通り、
陛下の「お言葉」を「謹んでこれを承りました」と言われた。
しかし、政府は、
謹んで承わらず、「マッカーサー憲法」に従った。
この祖国の歴史と伝統を無視したのは、
「日本を取り戻す」とか「戦後体制からの脱却」を掲げて、
国民の支持を集めた安倍内閣であった。
安倍内閣は、「取り戻すべき日本」つまり「本来の日本」を裏切ったのである。
 
天皇陛下は、一貫して「譲位」と表現された。
そのお言葉を承った国民が誰よりも知っている。
にもかかわらず、政府は、
一貫して皇后陛下に衝撃を与えた「退位」という言葉で固まった。
つまり、陛下は
「御自らの御意思によって皇位を譲る」とされたのに、
内閣は、
陛下の御意思はなく、内閣が閣議で「退位の決定」をするとしたのだ。
つまり、内閣は、この度の御譲位を、
革命により王制が打倒されたフランスやロシアの
ルイ十六世やニコライ二世の退位と同じものとしたのだ。
これは、まさに、
陛下の御意思を無視する重大な「我が歴史の改竄」である。
何故、改竄したのか。
それは、「マッカーサー憲法」では、
天皇は国政に関する権能を有しないので(第四条)、
内閣総理大臣最高裁判所長官を任命し衆議院を解散する等々の国事行為を為す
天皇国家元首というべき地位を、
自らの意思で譲るというまさに「国政最高の決定」を絶対に為しえない、
と、政府の「マッカーサー憲法」に仕える法匪が考えたからだ。
その上で、
マッカーサー憲法」第一条に
天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」とあるので、
内閣が、天皇の上位にあって天皇の「退位の決定」をしてもよいと考えた。
 
そう、法匪の言う通り、「マッカーサー憲法」では、
天皇は絶対に譲位はなし得ない。
しかし、
陛下は、まさに、それを為された。
ここにおいて、陛下は、
御上御一人で「マッカーサー憲法」を越えられたということだ。
そもそも、
実定法が想定していないことが起これば、
実定法に合わせて事実を改竄するのではなく、
歴史と伝統の中にある慣例や先例に従って対処するのが当然であろう。
その慣例や先例は、世界一古い「天皇の歴史と伝統」の中にある。
現に内閣は、
先帝陛下が、「マッカーサー憲法」の想定していない
天皇の歴史と伝統」の中にある「上皇」になられることを認めざるを得なかった。
 
このように、
天皇陛下の平成二十八年八月八日の国民に対する御譲位の表明から、
この度の皇太子徳仁親王践祚大嘗祭までには、
神話と歴史と伝統に基づく皇室の一連の儀式があり、
同時に、
内閣の「マッカーサー憲法」に基づく行事がある。
そして、
内閣の「マッカーサー憲法」に基づく行事は
虚仮(コケ)であり似而非(エセ)であり我が国史の改竄であることが明らかになった。
即ち、我が国は、神話と歴史と伝統の国であり、
つい最近の昭和二十一年二月にGHQの職員が書いた「マッカーサー憲法」は
我が国の「憲法」ではない。
これが明らかに見えた。
これこそ、
「日本を取り戻す」ことであり「戦後体制からの脱却」の第一歩ではないか。
我ら、国民(臣民)、謹んで陛下の御業を承らねばならない。

 

 

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