台湾に生まれた日本人は、今も日本人だ!

令和1年10月5日(土)

台湾に生まれた日本人は、
北海道に生まれた日本人や東京や大阪に生まれた日本人とともに、
今も日本人だ。
北方の択捉島国後島の日本人が、
ソ連の同島侵攻と占領とともに、ロシア人になるわけがない。
同様に、台湾の日本人が、
蒋介石中華民国軍が台湾に進駐したからといって、
中華民国国民になるはずはない。

台湾で生まれた李登欽と李登輝の兄弟、即ち、岩里武則と岩里政男の兄弟は、
兄は帝国海軍上等機関兵としてフィリピンで戦死し、
大正十二年生まれの弟は京都帝国大学農学部在学中、
学徒出陣で陸軍に入り、陸軍少尉として名古屋で終戦を迎えた。
昭和二十年三月十日の三百機のB29爆撃機による東京大空襲の際、
千葉県に駐屯していた岩里政男陸軍少尉は、
直ちに部下を率いて千葉から東京に入り消火と救援活動に専念した。
台湾総統として台湾中部地震に遭遇した時、
この東京救援の経験が役立った。
彼は、今も「難しいことは日本語で考える」と言っている。
岩里政男は、靖國神社に参拝して、
祀られている兄岩里武則命を慰霊した。
その時、私は、同行させて戴いた。

昭和二年生まれの蔡焜燦さんは、
昭和二十年二月、台湾での初年兵訓練を終えて
千葉の高射砲部隊に着任するために内地に向かう岩里政男が乗っていた汽船
「吉備津丸」に乗って宇品に上陸し、
二月十四日、「夢にまで見た岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に入校した」。
そして、六ヶ月後の八月十五日、
同教育隊で日本の敗戦を伝達され
「悔しさと無念の気持ちでいっぱいになり、
とめどなく込み上げる涙で頬を濡らした」(著書「台湾人と日本精神」)。

私は、以前から、言っていた。
これら台湾の日本人が、日本人でなくなった法的根拠は見当たらない。
彼らは、今も、日本人だ。
従って、昭和二十二年二月二十八日に始まった
蒋介石軍による台湾の本省人への白色テロによる二万人を遙かに超える犠牲者は
皆日本人である。日本はその時、台湾の多くの同胞を殺されたのだ。
以前、旧制高雄中学卒業生の同窓会の宴会に招待されたことがあるが、
参加者は、ほぼ全員、
親や兄弟か親戚に白色テロで殺された犠牲者をもっていた。

本日の産経新聞朝刊に、
日本国籍 復帰願う」 統治下台湾生まれの3人提訴
という見出しで、
戦前、台湾で生まれた三人の日本人が、
戦後、日本国籍を喪失したとされるのは不当だとして
大阪地方裁判所に、日本国籍確認の訴えを起こしたとう報道があった。
その原告は、
日本陸軍軍属楊馥成(ようふくせい)さん九十七歳、
東京大学客員研究員許華木へんに巳(こうかき)さん八十六歳、
日本海軍整備兵林余立(りんよりつ)さん九十二歳、
そして、原告代理人徳永信一弁護士。
原告は、代理人を通じ、
激動の台湾を生き抜いてきた人を支えたのは、
自分は日本人との強烈なアイデンティティー。
日本はその思いに報いてこなかった、
と語る。
被告となった国の法務省民事局は、
何もお答えできません、
と俗吏に言わしている。

現在、中国共産党独裁国家の覇権拡大という「文明の衝突」の最前線にあるのが
台湾と香港だ。
香港では数ヶ月に及ぶ反中共デモが続き、
台湾は、来年一月に総統選挙を予定している。
この「文明の衝突」の真っ最中に
我が国は、
台湾と運命共同体なのであるから、主体的に断固として
台湾に生まれた楊さん、許さん、林さんの三人が、
日本国籍を喪失した法的原因はどこにもない、との「事実」を明確にすべきである。
よって、法務省の吏員に答弁さすのではなく、
安倍政権は、閣議によって内閣の意思として本件訴訟に対応し、
法廷の場で、
原告三人の日本国籍を確認するべきだ。

これは、
中国国民党蒋介石に始まり、中国共産党習近平が完結させようとする
台湾侵略に対する我が国の断固とした態度表明である。
習近平の本質は、
我が国が国賓として迎える資格はない侵略者なのだ。
それは、十月一日の天安門における
習近平の武力の誇示と演説から明らかではないか。

 

www.n-shingo.com