国防は教育にあり、教育は国防にあり

令和2年2月25日(火)

教育と国防に関して記しておきたい。
我が国を軍事占領していたGHQ連合軍総司令部)が、
日本を弱体化したまま固定するという日本占領統治目的の為に書いた
日本国憲法」を「日本の憲法」とする「戦後という時代」にある
現在の我が日本では、小中学校の義務教育においては、もちろん、
高校から大学院に至っても、教育の中に、「国防」の課程はない。
しかし、
教育と国防が現状の通り無関係かつバラバラでは、
将来、危機において、我が国家の存立は危うい。
従って、ここに、教育と国防について記す次第だ。


先ず第一に、
教育と国防は不可分であり同じ前提から発する。
その同じ前提とは、
人には命に代えても守るべき価値がある、
ということだ。
その価値とは、
祖国、民族、忠孝、至誠、愛、
である。
教育は、それを学び、
国防は、それを実践するのだ。
この意味で、
教育と国防は不可分である。
即ち、
教育とは国防であり、国防とは教育なのだ。

このことを明確に意識して、
国民に対して「教育による国防」の重要性を喚起する
「民間防衛」という冊子(319ページ)を作成して
全国民に配布しているのがスイス政府だ。
スイス政府は、「民間防衛」のなかで、
占領軍がスイス全土を占領した事態を想定して
占領軍がスイス国民に行う「洗脳工作」について説明したあとで、
「精神的な抵抗運動をだれよりもまず最初に引き受けて実行するのは、
我が国の教育者達である」と述べている。

現在の我が国教育界では、
生徒のいじめによる自殺や不慮の事故に遭遇すれば、
「児童生徒に命の大切さを教える」
という言葉を発して反省の弁に代えるのが常だが、
毎回、この反省の弁を聞かされても、
いじめによる自殺が終わりそうもないのは何故か!
「命の大切さ」ではなく、
祖国、民族、忠孝、至誠、愛という
「命より大切なものがあることを教える」のが教育なのだ。
「命より大切なものがある」ことを知った者は
いじめに屈しないのだ。
日航ダッカハイジャック事件において、
我が国総理大臣は「人の命は地球より重い」と弁明して
ハイジャック犯人の要求に屈服したが、
「地球より重い人の命より、さらに重い価値がある」ことを知れ。

総理大臣たる者、明治維新よりの戦争で、
あまたの兵士が、身を鴻毛より軽きものとして、
欣然として祖国の為に散華していったことを忘れてはならない。

また第二に、
教育と国防は、
共に人間愛の体系の中に位置づけられる。
そして、この愛の体系こそ、
我が民族生命の永世つまり原始無限流動の証(あかし)である。
このことは、
次の古代ローマキケロの言葉と
明治天皇教育勅語を拝すれば明らかであろう。

キケロ(紀元前106年~43年)
あらゆる人間愛のなかで、最も重要で最も大切な喜びを与えてくれるのは、
祖国に対する愛である。
父母への愛の大切さは言うまでもないくらい当然であり、
息子や娘達、親族、兄弟そして友人達への愛も、
親愛の情を恵んでくれることで、
人間にとって大切な愛であることは誰でも知っている。
だが、これら総ての愛ですらも、
祖国への愛に含み込まれるのだ。
祖国が必要とするならば、
そして、その為に君に立って欲しいと求めるならば、
祖国に一命を捧げることに迷うローマ市民は一人もいないであろう。

教育勅語(明治二十三年十月三十日)
・・・爾臣民
父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭倹己を持し博愛衆に及ぼし
学を修め業を習ひ以て智能を啓発し徳器を成就し
進んで公益を廣め世務を開き常に國憲を重んじ國法に遵ひ
一旦緩急あれは義勇公に奉じ
以て天寿無窮の皇運を扶翼すべし
是の如きは獨り朕が忠良の臣民たるのみならす
又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん


我が国の武士道とは
はじめから「教育と国防」の一体化したのもである。
新渡戸稲造は、
欧米人からの、キリスト教の教えを知らない日本人の社会が、
何故、道徳と倫理を有しているのかという彼らの疑念に対する回答として
英文で「武士道」を書いて出版した。
その冒頭は次の通りだ。
「武士道は、日本を表徴する櫻と同様に、我が国土の固有の華である。」

この武士道は、
天皇を戴く我が国に生まれたものであり、
「文武両道」即ち
山岡鉄舟(1836年~88年)の言う「剣禅一致」
つまり教育と国防の一体化である。
山岡鉄舟は、「もののあはれ」を重視し、
「武士の道」という名称にこだわることなく、
天皇を戴いている以上、
女子も田舎の童も、武士道をもっているのだと説いた。
この山岡鉄舟は、幕臣であり、
維新後、駿府にひっそりと住んでいたところ、
朝廷に呼び出されて若き明治天皇の側に仕え、
相撲をとって平気で天皇を投げ飛ばした男で、
もののあわれ」を重視する山岡の武士道は
天皇に生涯にわたる影響を与えたものと思われる。
明治天皇が、対外戦争に赴く将兵と国民に対して詠まれた
次の御製がそれを示している。

國のためあだなす仇はくだくともいつくしむべきことな忘れそ

次に、
二十世紀に於ける我が軍の将兵の姿を知らねばならない。
まことに、二十世紀の我が軍の将兵が、
命と引き換えにして、白人が数百年にわたって人種を差別しつつ、
アジア・アフリカを支配する世界史を変えたのだ。
この日本軍兵士の姿を知ることが、
戦後のGHQWGIP洗脳の下で生きている我らの歴史を取り戻し、
我が国の戦前と戦後の連続性を回復する為に必要なのだ。

(1)旅順要塞攻防戦(1904年8月19日~1905年1月1日)
・「イギリス公刊日露戦争史」
Official history of Russo-Japanese war
「結論として旅順の事例は今までと同様に、
堡塁の攻防の成否は両軍の精神力によって決定されることを証明した。
最後の決定は従来と同様に歩兵によってもたらされた。
作戦準備、編成、リーダーシップ、作戦のミスや怠慢などに
どんなに欠点があったとしても、
この旅順の戦いは、英雄的な献身と卓越した勇気の事例として
末永く語り伝えられるであろう。」
・イギリス観戦武官、イアン・ハミルトン大将、後にエディンバラ大学名誉総長
「日本から学ぶべきものは兵士の忠誠心である。
子供達に軍人の理想を教え込まなければならない。
自分たちの祖先の愛国的精神に、尊敬と賞賛の念を深く印象づけるように、
愛情、忠誠心、伝統および教育のあらゆる感化力を動員し、
次の世代の少年少女たちに働きかけるべきである。」
レーニン
「日本は戦争の主な目的を達成した。進歩的な進んだアジアは、遅れた反動的なヨーロッパに、取り返しの付かない打撃を与えた。
軍事評論家達は、旅順の力は六つのセバストーポリに等しいと言っていた。ところが、
イギリスとフランスがセバストーポリを占領するのにまる一年もかかったが、
ちっぽけな、是まで誰からも軽蔑されていた日本が、六ヶ月で占領したのである。
・・・旅順港の降伏はツァーリズムの降伏の序章である。」

(2)奉天大会戦(1905年2月25日~3月10日)
日本軍24万9800、砲990門。ロシア軍30万9600、砲1200門
戦死、日本軍1万6553、ロシア軍8705。
戦闘終結後、黄塵の舞う戦場を視察していた参謀本部付き川上素一大尉が、
同じく戦場視察中の石光真清中佐に、
次のように語った(石光真清著「石光真清の手記」)。
「いつも戦場を廻って感じますことは、
このような戦闘は、命令や督戦でできないということです。
命令されなくとも、教えられなくとも、
兵士の一人一人が、勝たなければ國は滅びるということを、はっきり知っていて、
自分で死地に赴いております。
この勝利は、天佑でもなく、陛下の御稜威でもございません。
兵士一人一人の力によるものです・・・。
さように考えることは、教官殿、けしからぬことでしょうか。」

(3)パレンバン落下傘降下挺進作戦(1942年2月14日)
この作戦は、
339名の落下傘兵がスマトラ島パレンバンに落下傘降下して奇襲攻撃を敢行し、
ジャングルに於ける約10時間の戦闘の後、
パレンバン飛行場、スタンダード製油所、ロイヤルダッチシェル製油所を占領し、
日本に三年半にわたる大東亜戦争を継続する為の石油を確保して、
我が国が、欧米のアジアに於ける植民地支配と人種差別を打倒するという
戦争目的を達成する基礎を確保した画期的空挺作戦である(戦死39名)。
既に、FBで紹介したが、
本作戦の第三小隊長奥本實中尉が遺した手記に見る彼らの姿は、
もののあわれを知り、
自らの死を恐れぬ日本の武人そのものである。
奥本中尉と将兵等は、
「本日の給養は靖國に於いてす」即ち「死んで靖國で会おう」と申し合わせ、
ジャングルに降下して戦闘に突入していった。
そして、十時間後に飛行場を占領して休息に入った時、
将兵は、戦死した戦友の勇敢な働きを思い浮かべて泣いた。
この状況を奥本實中尉は、
「ずっと前進していた部隊が、一旦停止すると、必ず感傷が襲うのである」と手記に書いている。
以上、奥本實、高山正之著「なぜ大東亜戦争は起きたのか」(ハート出版)より。

(4)ペリリュー島攻防戦(1944年9月15日~11月27日)
中川州男大佐率いる日本軍守備隊一万九百名は、驚異的な勇戦奮闘の後全滅した。
アメリカ太平洋艦隊司令官C.W.Nimitz
「Tourists from every coutry 
who visit this island shoud be told
how courageous and patriotic
were the Japanes soldiers
who all died defending this island.」

(5)硫黄島攻防戦(1945年2月19日~3月26日)
小田 実著「何でも見てやろう」初版より、
アメリカに留学していた作家志望の小田実は帰路パリに立ち寄った時、
アメリカ人で作家志望の男がパリに住んでいると聞いたので、
同じ作家志望同志、彼と英語で話をしようと思い、
彼に電話をかけて翌朝彼のマンションで会うことになった。
翌朝、彼のマンションに行くと、
朝なのに彼はぐでんぐでんに酔っぱらっていた。
その酔っぱらった訳を彼は次のように小田 実に語った。
「自分は、激戦の硫黄島で日本軍と戦った。
その時、俺に陣地に日本軍将校が刀を振り上げて突入してきた。
そして、彼は俺には目もくれず、機関銃に向かって日本刀を振り下ろした。
すると機関銃がまっぷたつに斬れた。
彼は満足そうに俺のほうを向いた。
俺は殺される思い、夢中で拳銃を撃った。
それ以来、日本人に会うのは初めてなんだ。
それで、
飲まずにいられなかったんだ。」

嗚呼、敵を殺すことに興味はなく、
まず刀で敵機関銃を叩き切った日本軍将校!今、何処!

終わりに、
教育の改革とは何かについて述べる。
以上の通り、
教育と国防は不可分一体の武士道であると語った上で、
その武士道を如何に教えるか、
これが現行の教育の改革であると申したい。
即ち、これは文武両道の教えの実践である。
同時にこれは、
日露戦争の旅順要塞攻防戦に於ける日本軍兵士の戦いを観戦して、
軍人を退官した後にエディンバラ大学の名誉総長となってイギリスの教育改革に力を注いだイアン・ハミルトン大将の、先に述べた考え方を実践することである。
それは、繰り返すが、
「日本から学ぶべきものは兵士の忠誠心である。
子供達に軍人の理想を教え込まなければならない。
自分たちの祖先の愛国的精神に、尊敬と賞賛の念を深く印象づけるように、
愛情、忠誠心、伝統および教育の、あらゆる感化力を動員し、
次の世代の少年少女たちに働きかけるべきである。」
ということである。

その上で、我が国の特殊性に注目して、
まずこれを除去しなければならない。
これは、GHQWGIPを永続させ固定化させるために制定した
日本国憲法」の無効宣言と廃棄である!

とはいえ、これが為されなければ、
総てが一歩も進まないでは国が滅びるので
現状で為せることを指摘したい。

先ず第一歩、
実は、これが、最重要なことで、
即ち、如何なる人材を子供達の教員(指導者)にするかである。
それは、
自衛隊に入隊した者に教員資格を与えるということだ。
即ち、教員になる資格に、原則として
自衛隊に一年間入隊して訓練を受けること」を加える。
子供達に、文武両道を教える者の資格としてこれは当然のことであろう。
自ら集団行動、集団訓練を経験した者でなければ、
児童生徒の集団を統率できないではないか。

現に、このことを実践している学校が一つある。
それは、昭和三十年に開校された陸上自衛隊の少年工科学校だ。
この工科学校の生徒は、中学を卒業して入校して少年自衛官になり、
卒業して高校卒業の資格を得るとともに自衛官の三等陸曹になる。
かつては海上自衛隊にも航空自衛隊にも少年工科学校があったが、
今や陸上自衛隊にあるのみである。
この学校は、平成二十二年には高等工科学校に改編された。
その理由は、少年工科学校では、生徒は自衛官であるが、
これでは、少年を軍人(兵士)にしてはならないという国際法に抵触するので、
生徒は兵士ではなくただの生徒だという高等工科学校にするということだ。
これを聞いたとき、妙な小細工をすると思ったが、
我が国の政府が自衛官は軍人(兵士)であると認めたことなので、
まあいいかと思った。
とはいえ、
この少年工科学校(高等工科学校)を例に挙げたのは、
この学校は、創設以来、校長は
まず陸軍士官学校卒業生即ち旧軍将校、
次に防衛大学校卒業生もしくは少年工科学校卒業生であり、
また、教官も自衛官であるからだ。
つまり、少年工科学校は、この軍人の校長と教官の下で
全生徒は寮で共同生活をして自衛官としての訓練に励みながら学業を修得する。
これは、我が国に於ける文武両道教育の実践である。
この学校では先輩後輩の上下の区別は厳格で、
「一年違えば虫けら同然」と言われる(18期卒業生、犬伏秀一大田区議会議員の説明)。
これは、薩摩の、年長の青年が年下の少年達を鍛える郷中教育と同じである。
幕末の薩摩の強さと結束力は、郷中教育によってもたらされた。
これに対して、
高校卒業後に入学する幹部自衛官を養成する防衛大学校では、
歴代校長は、初代から現在まで学者が続き、どういうわけか慶応大学の学者が多く、
陸軍士官学校海軍兵学校および防衛大学校卒業生の軍人は皆無である。
つまり、少年工科学校は
「狼」に指揮されており、
防衛大学校
「羊」に指揮されている
ということになる。
よって、
来たるべき、実戦においては、
防衛大学校よりも少年工科学校の卒業生が、
実戦部隊を担う中核になり勝利を決するだろう。
「狼に指揮された羊の群れ」と「羊に指揮された狼の群れ」が
戦えば何れが勝つか?
昔から「狼に指揮された羊の群れ」が勝つ
と言われているではないか。
集団訓練そして実戦においては、
指揮官(校長)が「狼」か「羊」かで天地違う結果が出る。

以上の通り、
少年工科学校を手本として、
我が国の全青少年が二十歳になるまでに
六ヶ月~十二ヶ月間の集団合宿訓練期間を設けるべきである。
昨年の台風19号の被災地に於いて
授業ができなくなった中学高校生が、
各々班をつくって班ごとに
校区内の浸水した家から泥やゴミを運び出して被災者を助け復興活動に参加した。
テレビで彼らの笑顔とすがすがしい充実した表情を見たとき、
これこそは、今までにない実に立派な教育実践であると直感した。

高校の入学を九月にしたうえで
中学卒業の3月から高校入学の9月までの五・六ヶ月間(第一期)
高校卒業の9月から大学入学の4月までの五・六ヶ月間(第二期)
この第一期、第二期間のなかで、
中山間地、過疎地、離島そして自衛隊演習地において
昼は
下草刈りの山林保全や道路整備活動や小野田自然塾的なサバイバル訓練
夜は
歴史、古典そして倫理道徳の講義。
さらに第二期においては
自衛隊駐屯地に於ける軍事訓練の実習を取り入れた
合同合宿訓練を実施すれば、
どれほど我が国と国民の潜在的エネルギーが活性化するか!
想像するだけでワクワクする。

以上が私の教育改革の願望である。

 

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