明治への回帰!これが戦後体制からの脱却だ

平成29年12月20日(水)

慶応三年(一八六七年)の、
徳川慶喜による、源頼朝が創建した鎌倉幕府以来継承されてきた武家統治権力を
朝廷に戻す大政奉還と、
それに続く、神武天皇の創業の基(はじめ)に立ち帰らんと宣言する
天皇王政復古の大号令によって、
徳川幕藩体制が終焉し、
年が明けた慶応四年が明治元年(一八六八年)だ。
そして、明治元年三月十四日に、
京都では、
「五箇条の御誓文」と「国威宣布の宸翰」が発せられ、
同日、江戸(東京)では、
幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛の談判によって江戸無血開城がなった。
戊辰の内乱はまだ翌年まで続くが、
これが明治維新である。
本年は、この明治維新から百五十年、つまり明治百五十年である。

そこで、この明治百五十年に当たり、
この百五十年間の流れを概観したうえで、現在を位置づけたい。
そうすれば、
明治維新において我が国が遭遇し、そして、克服した国際情勢と
同じ情勢が現在の我が国を取り巻いていることが分かる。
つまり、東アジア、朝鮮と支那において、歴史が繰り返されている。

言うまでもなく、明治維新の切っ掛けは、
十五年前の嘉永六年(一八五三年)の黒船来航である。
アメリカ東洋艦隊の蒸気機関でモクモクと煙を吐いて動く軍艦(黒船)四隻が、
舷側から大砲を出して浦賀に来航し、我が国に開国を要求した。
そして、我が国は大騒動となる。
狂歌に歌われた、「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠られず」である。
上喜撰とは宇治の高級茶のこと。

これに対して、昨年、
核開発を続ける北朝鮮が、四発のミサイルを我が国上空に打ち上げたが、
黒船来航の時と比べて国民と政府の反応は鈍い。
「泰平の眠りを覚ますミサイル四杯」とはならなかった。
何故なら、現在の我が国は、
この北朝鮮の核とミサイルに対処するのはアメリカだと思い込んでいるからであろう。
しかし、当時(嘉永六年)の我が国は、他に頼るものはなく、
文字通り、身に寸鉄を帯びずに巨大な外国の武力にさらされたのである。
しかし、実は!
現在も、我が国は他に頼るものはない。
国家と国民の命は、自らの力で核とミサイルの脅威から守るしかない。
アメリカ大統領は、
サンフランシスコやニューヨークに核ミサイルを打ち込まれる危険を冒して
日本を守ることはない。
我が国が、
東京や大阪や京都に核ミサイルを撃ち込まれる危険を冒して
アメリカを守ることはないのと同じである。

福澤諭吉は、
明治の初期に、国際情勢と朝鮮の状況について次のように書いた。
この福澤が書いた状況と、
現在の、核ミサイル大国となってその軍事力を背景にして領域拡大を狙う中共と、
人民を抑圧して餓死者がいくら出ようとも核ミサイル開発を続ける北朝鮮の織りなす国際状況は同じではないか。
福澤諭吉の書いたものを読めば読むほど、
一衣帯水の西にある支那と朝鮮は、
当時と現在、何も変わらない非法治の世界だと思はざるを得ない。

百巻の万国公法は数門の大砲に若かず。
幾冊の和親条約は一箱の弾薬に若かず。

各国交際の道二つ。
滅ぼすと滅ぼさるるのみと云いて可なり。

人間娑婆世界の地獄は朝鮮の京城に出現したり。
我が輩は此の国を目して野蛮と評せんよりも、
むしろ妖魔悪鬼の地獄国と云はんと欲する者なり。
 
さて、この明治維新の切っ掛けが黒船来航であることから、明らかなことは、
明治維新とは
「国家のサバイバル」、
「国家の生き残り」
の為に行われたということだ。
つまり、我が国は、生き残るために、
幕藩体制」から近代国家に脱却しなければならなかった。
もし、「幕藩体制」のままならば、
我が国は列強の植民地にされ滅亡していた。
明治維新とは国家の生き残りの為の変革だった。

その上で、また指摘しなければならない。
即ち、百五十年後の現在の我が国も、
生き残るために、
「戦後体制」から脱却しなければならない、と。
明治維新
幕藩体制」からの脱却で、
それから百五十年を経た現在の急務は
「戦後体制」からの脱却だ。
この脱却がならなければ、
我が国は危うい。

では、「戦後体制」から脱却して、我が国は何処へ行けばいいのか。
結論から言う。
「明治への回帰」である。
明治維新が、王政復古の大号令
つまり「神武創業の基(はじめ)に回帰する」ことを宣言して開始された。
そして、百五十年の円環を経て、
現在は、その明治に回帰することが求められている。
 
明治百五十年は、
大東亜戦争に敗北した昭和二十年八月十五日で、二つの時代に区分される。
前半の七十七年間と後半の七十三年間である。
前半は「大日本帝国憲法」及び「教育勅語」を以て律せられ、
後半は「日本国憲法」を以て最高規範とする。
この後半が「戦後体制」である。
従って、「戦後体制からの脱却」とは、
具体的には、「日本国憲法体制からの脱却」である。
 
そもそも、この「戦後体制」即ち「日本国憲法体制」とは、
如何にして、如何なる目的で造られたのか。
明治維新のように、我が国家の生き残りの為か?
そうではない。
その、まさに逆だ。
生き残りの逆とは?
つまり我が国、即ち、日本滅亡の為である!
 
昭和二十一年二月の初めに
我が国を軍事占領していたGHQ連合軍総司令部)のチャールズ・ケーディス大佐は、
二十数名のGHQの部員とともに「日本国憲法」を書き、
自らは、そのGHQが「日本国憲法」を起草する最大の目的である
「第九条」を書いた。
そして、後年、ケーディスは、産経新聞古森義久記者に対して、
「第九条」を書いた目的を、
「日本を永遠に武装解除されたままにするために書いた」と、
実に率直にあっけらかんと述べた。
書いた本人が、
ここまで率直に書いた目的をしゃべっているのに、
書かれた方の我らは、
大真面目に(アホみたに)、
日本国憲法」が最高規範だと思い込んで学童に教えている。
これが、「戦後」だ!
この「日本国憲法」とくにその「第九条」が、
北朝鮮の核を搭載できるミサイルが上空を飛んでも危機感を抱かない「戦後」、
つまり「異様な時代」を造っている。
多くの同胞(はらから)が北朝鮮に拉致されていても見て見ぬふりをする「戦後」、
つまり「冷酷で残忍な時代」を造っている。
北朝鮮は、「第九条」があるから、
日本からの反撃はないと安心して日本の上空にミサイルを飛ばしている。
つまり、「第九条」は、
我が国に危機と戦乱と大量殺人を呼び込む最も危険な邪悪な条項であるのに、
日本国民の多くは「第九条」があるから平和だと思っている。

反撃しなければ、相手からの攻撃はない、
と思っているのは日本人だけである。
相手は、反撃がないと分かれば、
安心して執拗に残忍に攻撃して欲望を満足させる文明なのだ。
嘉永六年の、
黒船に夜も眠られなくなった江戸の庶民のほうが、「戦後の日本人」より民度が上だ。

「第九条」を書いたのは、
ベートーベンではなく、
ケーディスだ。
ジョージ・ケナン
あなた方は、
日本を共産化してソ連に進呈しようとしていたという噂があるねえと言われ、
R・アイケルバーガー中将に
彼は、日本人に手本を示した。
それは、空虚な理想主義者は、奢りと腐敗におぼれて自滅するという手本だ、
と言われた、
アメリカ生まれ東欧系ユダヤ人の
チャールズ・ケーディス(一九〇六年~一九九六年)だ。
また、二十三歳の小娘の時に
日本国憲法の「二十四条」、「二十五条」そして「二十七条」を書き、
それから、書いた書いたと、婆さんになっても得意げに吹聴していたのは
ウクライナユダヤ人の
ベアテ・シロタ・ゴードン(一九二三年~二〇一二年)だ。
これらの者が、「日本国憲法」を書いた。
この、正義のない「暗黒」、これが「戦後」の始まりだ。

しかしながら、
この暗黒の中に一つの深遠な「光」がともされていた。
GHQとそれに迎合して利得を得る日本人の誰にも消すことができない「光」である。
この外国人が我が国を占領して「憲法」を書いた異様な「戦後」の、
まさに始まりにあたり、
唯御一人で、
國體を守りぬかれ、
そして、国民に「明治への回帰」を呼びかけられ、
同時に、全国を巡幸されて国民を励まされたお方がおられる。

昭和天皇である。

昭和天皇は、
昭和二十年八月十四日の、
ポツダム宣言受諾を最終的に決定した御前会議を終えるにあたり、
とりすがるように慟哭する死にゆく阿南惟幾陸軍大臣に対して
  「阿南、阿南、お前の気持ちはよくわかっている。
   しかし、私には國體を護れる確信がある」
と言われた。
そして、阿南陸軍大臣自決の後、
たったお一人でその國體護持の行動を開始された。

翌月の九月二十七日、
昭和天皇は、敢然とアメリカ大使館にマッカーサー元帥を訪問された。
その時、当初は勝者が命乞いをする敗者を迎えるように
開襟シャツのボタンを外して天皇陛下を迎えたマッカーサーは、
陛下が退席されるときには、
陛下を
「ユア マジェスティー」
と呼んで見送った。
そして、昭和天皇は、
  ふりつもる深雪にたへて色かへぬ松そををしき人もかくあれ
という御製を国民に示されて、
敗戦の苦難のなかでも「色をかへぬ松」たれと国民に訴えられ、
次に、敗戦後に初めて迎える昭和二十一年の元旦に
「新日本建設の詔書
を発せられ、
その冒頭に、明治天皇が明治の初めに発せられた
「五箇条の御誓文」を掲げられ、
この御誓文を以て新しい日本を建設するべしと国民に呼びかけられた。

しかし、戦後は、
この詔書天皇の「人間宣言」というレッテルを貼って、
この詔書の、
「国家と民族の指針を示す偉大で決定的な本質」
を隠したのだ。

よって、「戦後の暗黒」から脱却する為に、
我らは、まずこの昭和天皇詔書
光源として甦らせ、
その御主旨を実践しなければならない。

 

 

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