迫る有事、即ち、九条と九十六条の罠からの脱出

平成29年12月27日(水)

激動の新年を迎えるにあたり、
やはり、その「未知の激動」に対処する
「着想」、そして「決断」、「覚悟」を述べておきたい。

二十六日と二十七日、新聞で防衛省が、
護衛艦「いずも」を
F35B戦闘機を離着陸させる「空母」に改修する旨の報道がなされた。
ささやかな一歩であるが、
まことに意義ある一歩である。
その報道に接して拍手する思いだ。
「いずも」は、全長248メートル。
帝国海軍の真珠湾攻撃に行った空母、
「赤城」は全長261メートル、
「加賀」は同238メートル、
「飛龍」と「蒼龍」は共に同227メートル。
よって、「いずも」も立派な空母になる。

二十年ほど昔になるだろうか、
海上幕僚長との昼食を食べながらの懇談の際、
空母機動部隊の創設を開始してから実戦運用ができるまでには何年が必要か、
と質問したことがある。
その時、海幕長は、
内局や他の議員が如何に外部に報告するか分からないので、
あくまで仮定のことと断った上で、
空母の建造から運用ができるまでの訓練期間を述べ、
「八年から十年」、
と答えたと記憶している。
そして、次に海幕長の随員の付け加えた言葉は、強く印象に残った。
彼は、次のように言った。
「今、海幕長が、怖い顔をして、実は嬉しそうに、
 口元が笑いかけて話されていましたが・・・」
その時、私は、
世界有数の広大な排他的経済水域と膨大な数の島嶼を有する
海洋国家である我が国を防衛する任務を与えられ、
その任務を完遂しようと訓練に励む彼らと、
思いを共有しているのを感じた。
その思いとは、我が国にこそ、空母機動部隊が必要だ、ということだ。
それからしばらくして、
海上自衛隊は、妙な形をした輸送船や護衛艦を浮かべ始めた。
舞鶴に「おおすみ」を見に行ったが、
見た目は、空母そっくりな輸送船や護衛艦である。
空母そっくりではなく、
空母としか見えない輸送船や護衛艦である。
そして、やっとこの度の
「いずも」をF35Bを離着陸させる「空母」にするとの報道に接したわけだ。
やはり、拍手したくなる。

とはいえ、考えてみれば、
何故、紆余曲折、ここまで手間がかかるのか。
空母としか見えない輸送船や護衛艦を造るのならば、
初めから空母を建造すると公表して、
初めから空母を造ったらいいではないか。
西隣の中共は、
明らかに、我が国を恫喝し我が国のシーレーンを抑えて西太平洋の覇権を確立するために昂然と空母を遊弋させ始めているのに。
第一、東日本大震災に際して、
アメリカ海軍は直ちに空母ロナルド・レーガン
福島・宮城沖に展開して海から救助活動に入ってくれたのに、
我が国は、何故、空母のような「おおすみ」や「ましゅう」や「ひゅうが」や「いずも」を使って、アメリカ海兵隊を待つまでもなく海から大島の救援に乗り出さなかったのか。
その理由は、
憲法九条と九十六条の罠に嵌まっているからである。
九条は、
書いた本人であるチャールズ・ケーディスが、
「日本を永久に武装解除されたままにしておくために書いた」
産経新聞古森義久記者に言っているとおり、
我が国が武器をもたないようにするものであり、
九十六条は、
その九条の改正を事実上至難の業にしてそれを固定する為に書かれた。
それ故、この「憲法」の罠に嵌まったなかで、
その必要性が自覚されてから数十年の歳月を経て、
やっとこの度、「いずも」を空母に改装することになりそうなのだ。

しかし、
我が国のこの「空母」を運用しようとする当然の動きに対して、
中共の外務省報道官は、
我が国の「憲法」を持ち出して次のような要求を発している。
つまり、中共は、我が国の「憲法」の罠をつかって、
我が国を、さらに無防備に固定しようとしているのだ。
「日本が専守防衛と平和的発展の道を堅持し、
 軍事・安全保障分野で慎重に行動することを求める」
憲法九条は戦後日本の平和的発展の道を象徴しており、
 国際社会に向けた約束である」
そこで、
せっかく、中共が我が国の憲法九条を持ち出してくれたのだから、
自明のことながら、中共の意図を確認しておきたい。
中共は、憲法九条に縛られる日本は脆弱で、すぐに打倒することが出来るとみている。
つまり、中共は、
弱い日本に対してはためらうことなく武力を行使できるが、
強い日本に対しては直ちに武力を行使できない、
と判断している。
このことは、
憲法九条は、
我が国に対する他国の軍事行動を誘発させ、
九条の罠から脱した我が国は、他国の軍事行動を抑止できる、
ということになる。
よって、この度の中共の我が国に対する独善的な無礼な抗議は、
この九条の軍事行動を誘発する危険性を、我らに教えてくれている。
と、同時に、中共は、
トランプ大統領安全保障戦略は正しいことも認めたことになる。
先日発表されたトランプ大統領安全保障戦略は、
中共を仮想敵国なみに扱ったので、中共は反発しているが、
実は、図星であるから反発しているのであり、
中共は、次のトランプ大統領の発言がまさに正しいことを認めていることになる。

弱さは紛争への最も確実な道であり、
比類のない力は防衛の最も確実な手段である。

よって、我が国も、トランプ大統領のいう通り、
平和を望むならば、
比類のない強さを力を持たねばならないのである。

さて、冒頭に記したように、
今は、何が起こるか分からない激動の新年を迎える年末なのだ。
いったい、ぜんたい、
我が国の安全保障体制構築は、間に合うのか!

「だから、憲法を改正するんだ」、
との反論は分かる。
しかし、この反論は、
憲法を改正すればできる」=「今は、できない」
という前提に立っている。
これに対し、私の立論は、
「今、如何にしてできるようにするのか」
なのだ。
これが、危機管理の鉄則ではないか。
現在、寒い中で突風が日本を襲い、全国で火事の報道が相次いでいる。
つまり今は、何時、何処で、火の手が上がるか分からない時期なのだ。
にもかかわらず、
「ここ三日ばかりは、出動規定の改正のため消防は出動できません」
ですむもんか。

次の曾野綾子さんの一文を読んで頂きたい。

私は今まで、何人もの優秀な官僚に出会った。
彼らは直ぐに、できない理由を理路整然と述べるのには、
何時も驚くほかなかった。
私たちの仕事では、
出来ない理由など述べていたのでは何もできない。
出来ないことを、
どうしたらやれるかを考えることが、生きることなのである。

アメリカさんが、七十年前に、
日本を永久に武装解除されたままにしておく為に書いてくれた九条を持ち出して
「出来ない理由を理路整然と述べていたのでは」
国が滅ぼされる時、
「どうしたらやれるかを考えることが、生きることなのである」

その結論は、内閣総理大臣の、
自衛隊の最高指揮官としての決断一つである。

これが危機管理であり、
実は、軍隊運用の正当な原則、ネガリストである。
即ち、法律に禁止されていないことはできる、という原則である。
一九七七年十月一日、福田赳夫内閣総理大臣は、
ハイジャックされてダッカ空港に着陸している日航機の乗客の命を守るために、
犯人の要求を受諾して六名の服役囚と勾留中の者と六百万ドルを引き渡した。
そのようにしてはならないという法律が無いからそうしたのである。
同様に、
来年二〇一八年、安倍内閣総理大臣は、
北朝鮮が無政府の混乱に陥った場合、
尖閣諸島支那武装漁民や民兵が上陸してきた場合、
直ちに、毅然として、自衛隊に出動を命じ、
北朝鮮域内に入り必ず拉致被害者全員を救出して日本に連れ帰らせ、
尖閣諸島に上陸した「漁民」を全員掃蕩して尖閣諸島を確保させなければならない。
その総理大臣の命令があれば、
直ちにためらうことなく陸海空自衛隊は出動する、と申しておく。
その、即動必遂の使命感がなければ、
彼らの、あの想像を絶する過酷な訓練をやり遂げられるものではない。
陸上自衛隊特殊作戦群の初代群長に習志野駐屯地で質問した。
北朝鮮に突入して拉致被害者を救出して帰還できるか?
彼は即座に、唯、一言、答えた。
命令があれば行く。

最後に言っておくが、
昨日、十二月二十六日の産経新聞「正論」に、百地 章明治大学名誉教授が、
自衛隊は、法制度上は『軍隊』でなく『警察的組織』である。
 それゆえ、平時においては、警察なみの行動しかできない。」
自衛隊が『軍隊』でないことからくる諸問題の抜本的な解決は、
 9条2項の改正無くして困難である。」
自衛隊が軍隊でないためさまざまな支障が生ずるのは、
 特に『平時』および平時から有事にかけての『グレーゾーン』といえよう。
 とりわけ問題となるのが、
 武装ゲリラや漁民に扮した海上民兵の強行上陸およびわが領土の不法占拠である。」
と書かれている。
しかし、既に述べたように、
我が国が憲法9条の罠に嵌まって縛られていることを知り尽くした敵、
即ち、中共は、
まさにこの、「平時」と「グレーゾーン」を狙って我が国侵略を本格化させるのである。
わざわざ、あいつらも読む「正論」に、
「平時」と「グレーゾーン」は何も出来ないかの如く書いて念を押してはだめだ。
従って、この「正論」の翌日の本通信において、
曾野綾子さんのように、
 その時、やれるのだ。
 それは、内閣総理大臣の決断一つ。
と記す意義もあるといえよう。
 そう、その時、
 我が国が「日本」である限り、やるのだ。

 

 

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