「我が国独自で北朝鮮に拉致された同胞を救出する覚悟を!」

平成30年8月23日(木)

先の時事通信、平成30年8月21日、
№1449、「我が国独自で尖閣を守る覚悟を!」に続いて、
№1450、「我が国独自で拉致被害者を救出する覚悟を!」を配信する。
諸兄姉は、この二つの通信を併せてお読み頂きたい。

その訳は、
国土=尖閣竹島、と、国民=拉致被害者に対する
我が戦後政治の対応が、
過去現在ともそっくり同じで、
この戦後政治の対応から脱却して、
尖閣を守り拉致被害者を救出する覚悟と実践も同じであるからだ。
つまり、両者は病状も同じ回復策も同じなのだ。
従って、
時事通信の結論部分はそっくりそのまま拉致被害者救出の結論となる。

即ち、
アメリカに頼らず(既に、頼ることはできない)、
我が日本独自で拉致被害者を救出しなければならない。
その為に、
①「行政権は内閣に属する」(憲法
②「内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高指揮監督権を有する」(自衛隊法)
安倍内閣総理大臣は、
この与えられたこの二つの権限を行使する決断をして
断固として自衛隊を軍隊として運用して拉致被害者を救出しなければならないのだ。

憲法改正
そんなもの間に合わんのだ。
尖閣では、敵が待ってくれない。
拉致被害者救出では、人間の寿命の限度がきている。
なに、
憲法九条に自衛隊を付け加える改正をする?
笑わせるな、
「陸海空軍を保持しない」し「交戦権を認めない」九条に、
自衛隊を付け加えてどうする・・・おととい来い。

・・・      ・・・      ・・・     ・・・

「国民と領土を守る」
この意思を持ち、それを実践する、これが国家だ。
その為に必要な要件は、
大前提として、
国家自身が守る意思を持っていること。
その上で、
第一に、相手に奪うことが不可能だと思わせる力を保持していること。
第二に、相手が奪いにきたらそれを撃退する力を保持していること。
第三に、相手が奪った国土と国民を奪還する力を保持していること。
である。
しかるに、
戦後という時代、戦後体制ではどうだったのか。

竹島尖閣そして拉致被害者に関して、
そもそも我が日本の政府は、
大前提である
「守る意思」
をもっていなかった。

従って、竹島は奪われ尖閣が狙われていても、国民が拉致されていても、
我が戦後日本は、見て見ぬ振りをしていたのである。

これが、戦後体制の結果だとすれば、
戦後体制とは、「マッカーサー憲法」即ち「日本国憲法体制」なのであるから、
拉致被害者は、日本国憲法の犠牲者である。

この「戦後体制からの脱却」と「日本を取り戻す」をスローガンに掲げた
第二次安倍内閣の誕生は、確かに一歩前進であった。
しかし、停滞している。
安倍総理
アレキサンダーのように、ゴルディアスの結び目を斬れ。
前記、①と②の総理大臣に与えられた権限によって、
陸海空の自衛隊を運用して
北朝鮮から拉致被害者を救出する体制を構築するべきだ。

北朝鮮金正恩が、
何故、態度を急変させてアメリカのトランプ大統領と会ったのか。
それは、トランプのアメリカが斬首作戦を実施する気配を示したからだ。
我が国も、拉致被害者を解放しなければ、
斬首作戦を実施する覚悟を示し、その態勢を構築すべき時だ。

九月の総裁選挙は、この覚悟を秘めて突破して頂きたい。


以上、拉致被害者救出に関しては、結論から記した。
とはいえ、
拉致被害者問題に関しても、国土防衛に関する不作為と、
同じ病根(日本国憲法による洗脳)からくる
どうしようもない不作為と闇について記しておく。

(1)
政府は、拉致被害者を十七名と認定している(内五人は帰国)。
そして、その認定人数に合わせて政府政策のパンフレットも
被害者十七名として作成されている。

しかし、拉致された被害者は十七名ではない!

特定失踪者調査会では約百名が拉致されたと突き止めており、
警察庁北朝鮮に拉致された可能性を否定し得ない人々は八百六十二人としている。
では、何故、政府だけ拉致被害者を十七名に限定しているのか
不可解と言わざるを得ない。
不可解であるが、
我が国政府は、拉致被害者の人数を少なくしようとしているのは確かである。
平成十四年九月十七日、
平壌を訪れた小泉総理一行に、
北朝鮮金正日委員長は、拉致被害者は五名生きているが八名は死亡したと告げた。
そして政府は東京で、
北朝鮮が言ったままを「死亡宣告」というかたちで被害者八名の家族に伝達した。
しかし、すぐに、北朝鮮の八名死亡は嘘であると判明した。

昭和五十九年六月四日、
山本美保さん(二十歳)が住まいの甲府市から忽然と姿を消した。
平成十四年九月十七日に北朝鮮金正日が日本人拉致を小泉総理に認めてから、
甲府では山本美保さんの家族や同窓生が中心となって
美保さんも拉致された可能性が高いとして救出を求める署名運動を展開し
大きな反響を呼び起こしつつあった。
その時、山梨県警は、
美保さん失踪から十七日後の六月二十一日に山形県の海岸に漂着した白蝋化した女性の遺体と美保さんのDNAが一致すると発表し、拉致説を否定した。
しかし、漂着した遺体と美保さんの体型は全く違っている。また、たった十七日間で遺体は白蝋化しない。

(2)
昭和五十二年九月、能登半島から久米裕さんが北朝鮮に拉致された。
石川県警は、その犯人を逮捕してその供述を得た、
さらに犯人が自宅に置いていた乱数表から日本海から送られてくる北朝鮮からの暗号の解読に成功して北朝鮮による拉致を突き止めた。
よって、その時、政府つまり福田赳夫内閣は、
北朝鮮の国家による組織的日本人拉致を察知した。
しかし、その察知した北朝鮮による組織的日本人拉致を、
政府は、各自治体、警察、自衛隊に通知して警戒態勢を指示せず、
見て見ぬ振りをしてやり過ごした。
その為、四十五日後には
新潟で十三歳の横田めぐみさんが拉致され、政府認定の十七名が次々に拉致されていった。
政府は、昭和五十二年十一月十五日の横田めぐみさんの拉致を、
私が質問する平成九年二月三日の直前の時点で認識したとしているが、
一昨年、特定失踪者調査会の荒木和博代表らと私が、
新潟の横田めぐみさんが下校した中学校から自宅までを実際に歩いてみて、
周辺の情報を総合した結果、
福田内閣は、横田めぐみさん失踪直後に、
これは北朝鮮による拉致であることを察知していたという結論に至った。
要するに、日本政府が、
北朝鮮による日本人拉致を察知した久米裕拉致事件以来、
つまり、昭和五十二年(一九七七年)九月末から平成九年(一九九七年)二月までの
二十二年間、日本政府は拉致を知りながら見ぬ振りをしていたのだ。

(3)
その福田内閣の三年前の
田中内閣の時の昭和四十九年八月十五日、
在日韓国人文世光が日本の大阪で朝鮮総連政治部長から
韓国の朴正熙大統領狙撃を命じられ、
大阪府警から奪われた警察の拳銃を渡され、
ソウルでその大阪府警の拳銃で朴大統領を狙撃した。
弾は大統領からそれて夫人に命中し同人を死亡させた。
犯人の文世光は、その場で捕まり、
朝鮮総連に欺されたと語り、死刑を執行された。
朝鮮総連は、日本に本拠を置く北朝鮮政府隷下の組織である。
従って、韓国政府は日本政府に朝鮮総連強制捜査を依頼した。
しかし、田中内閣は、朝鮮総連を捜索しなかった。
文世光事件のみならず
拉致解明とその後の拉致防あつに繋がった捜査が為されなかったのだ。
これ、不可解な不作為と言わざるを得ない。

以上、戦後体制、日本国憲法体制から生まれる不可解な不作為と闇を概観した。

 

 

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