千葉の心愛ちゃんが死を以て伝えてくれている

平成31年2月13日(水)

節分が過ぎて
二月十一日の、国の肇の日である紀元節を迎えた後に、
改めて思うことは、
我が国を取り巻く内外の情勢は、まことに厳しさを増し、
本年こそ、
本当に世直し国替えの年にしなければならないということだ。

まず第一に、
本年に入り、
涙なくして見られないニュースが連日報道されている。
それは、千葉県野田市の小学校四年生、
十歳の栗原心愛(みあ)ちゃんの死だ。
心愛ちゃんは、
父親の執拗で陰湿で冷酷な暴行を受け、
側にいる母親も父親に同調して母親からも見放され、
暴行による肉体的精神的衰弱のなかで、
この寒いなかで、さらに風呂場で冷水をかけられて放置され、
絶望的な孤独の中で両親に殺された。
そして、
この心愛ちゃんを、
死に至らせる鬼の如き親の下に送り返したのは、
千葉県柏児童相談所である。
この所長の、記者会見における目を魚のように見開いて、
非情かつ無責任極まりない正体を隠そうとしているが如き様をみていて、
彼らも、冷酷な殺人の共犯者だと思った。
消防隊員が火事だと知って、家に子供を送り帰したのと同じではないか。

問題は、
豊かで浮薄な表面の下で、
ここまで、我が国の社会の病そして人倫の崩壊が、深刻になっているということだ。
これが恐るべき
「亡国に至る内憂」
でなくて何であろうか。

心愛ちゃんを取り巻く学校や児童相談所の対応は、
竹島が韓国に奪われ、
多数の国民同胞が北朝鮮に拉致されるのを、
長年、見て見ぬふりをして蓋をしてきた政治や官僚組織と同じだ。
つまり、戦後のこれらの組織は、
国民の命と領土が危機にさらされている現実の前で、
あの柏児童相談所長のように、目玉を泳がすだけの無表情を続けてきたのだ。

さらに北から、ロシア、北朝鮮そして中共が、
我が国を攻撃する為の核ミサイルの開発をしているのに、
漫然と現実から遊離した憲法九条による
専守防衛」を叫んでいる政治や官僚組織も、
心愛ちゃんを放置した児童相談所という組織と同じである。
このままでは、我が国は内部から腐って崩壊する。
これこそ、
核ミサイルや中共の軍事的攻勢という外患に、
遙かに勝る内憂の恐ろしさだ。

そこで、明確に思い決するべきだ。
即ち、斯くの如き我が国社会の深刻な病状は、
「戦後体制」
即ち
日本国憲法体制」と、
この体制の中で、快適に生息する
人権と平和を振りかざす左翼思想から生み出されているということである。
日本国憲法」の人権思想は、
国からも社会からも両親と親族からも、
さらに祖国の歴史や伝統からも拘束を受けない
「砂粒のような個人」を
人間としての人権が守られた理想の存在として、
日本国民とその共同体をバラバラにする危険な反日邪教である。
同時に、
日本国憲法」の九条に象徴される
平和主義は、
自国民が拉致され自国民が殺され領土が奪われるのを、
見て見ぬふりをして
「平和が守られてきた」
とうそぶく、最も冷酷で卑怯な
国と国民を生きながら腐らす偽善である。

最後に幕末維新以来、
宿命的な我が国の「外患の発生地域」である
ロシア、中共そして朝鮮について言っておく。

現内閣の対露対中対朝戦略は、
漫然たる宥和方針であり、
戦前と同様の国策の破綻という国家国民に対する惨害を生み出すだろう。
まず、中露に対しては、
その当時から言われている次の格言を思い起こすべきだ。
それは、
「ロシア人は約束を破るために約束をする。
シナ人はそもそも約束は守らねばならないと思っていない。」
ということだ。
その上で、両者は一貫して「力の信奉者」である。
そして、
朝鮮は、もともと小中華を誇りとする事大主義の地域で、
背後のシナとロシアの間を振り子のように動く。
従って、約束は守らない。
現在、昭和四十年の日韓条約も三年前の従軍慰安婦の「不可逆的合意」も、
韓国がすべていとも簡単に破っていることから
何をか言わんや!
であろう。
三十八度線は、
既に対馬沖に南下していると認識すべきだ。

次に、中露について。
ロシアのウラジーミル君は、
安倍総理との約束を屁とも思わず必ず破る。
このままでは我が国はまたもロシアに欺される。
昭和二十年八月九日、
日ソ中立条約を破って
火事場泥棒のように満州、千島、樺太に武力侵攻し、
千島樺太の領土を奪い、多くの日本国民を殺戮し、
六十万の日本人をシベリア各地に抑留して働かせて十万人以上を殺した
ソビエト共産党スターリンを信奉して共産党に忠誠を誓うKGBのエリートが
ウラジーミル・プーチンではないか。
我が国は
ソ連のブレジネフ共産党書記長と会談した、
田中角栄内閣時代の対露方針に戻るべきだ。
それは、
①平和条約は四島が返還されない限り締結しない。
②経済協力は領土問題が解決されない限り応じない。

中共の「一帯一路」は
彼の覇権拡大の道具であり、
我が国がこれに深入りすることは、
我が国が中共の侵略道具に成り下がるということだ。
我が国は、この会議に閣僚を出す必要はない。

我が国には、このシナの本質を指摘した次の知的蓄積がある。
対中方針はこのシナに対する事実認識に沿うべきである。
①明治十二年の情報将校福島安正中佐(後に大将)の清国偵察記「隣邦兵備略」
これは、
歴代シナの王朝の宿痾は賄賂と横領による腐敗であり、
このような国は日本が共に手をとってゆける相手ではないと断じている。
②明治十八年の福沢諭吉の「脱亜論」
③大正二年の内田良平の「支那観」
これは、孫文などの裏切りを体験した内田良平が、
堂々と詐欺、裏切りをする支那のしたたかな本質を記したもの。

以上、支那とロシアそして朝鮮は、
我が国とは、文明を異にする地域と心得るべきである。

紀元節に畝傍の山の橿原の神宮に参った。
そして、日本創業の志を思った。
神武創業の志は、
「八紘一宇
である。
アジアがユーラシアが、
一つの家族になることである。
従って、
アジア・ユーラシアにおける中国共産党独裁権力の拡張は、
この我が国創業の精神に反する。
よって、我が国は、
人類の幸福のために、
この巨大で歪なおぞましいモンスターとなった中共帝国と
宥和するのではなく、
これを抑止し中共の人民の幸せの為にも、
この人類の将来に禍根をもたらすおぞましい独裁体制を
崩壊させることを国策とすべきである。

 

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