主権回復とは日本国憲法を廃棄すること。
本日は四月二十八日、
昭和二十七年(一九五二年)の今日、
サンフランシスコ講和条約が発効して
我が国は、連合軍の占領から脱却し主権を回復した。
平成二十五年四月二十八日、
発足して間もない安倍内閣は、
政府主催で「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を
憲法記念館において
天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで開催した。
これが、
安倍内閣の戦後史を画する功績といえる。
何故なら、
我が内閣が、公式に、
昭和二十七年四月二十七日以前の我が国には
主権がなかったことを認め宣言したからである。
従って、ここから、
同じく安倍内閣が言う
「日本を取り戻す」とは何か、
「戦後体制からの脱却とは何か」が直ちに具体的に出てくる。
即ち、戦後体制とは我が国に主権が無いときに作られた体制であり、
日本を取り戻すとは、
我が国に主権が無いときに、
支配者である連合軍総司令部によって奪われたものを回復し
押しつけられたものを廃棄することだ。
これが、具体的に出てくるではないか。
奪われたものは、
大日本帝国憲法、皇室典範、皇族、華族制度、教育勅語、家族制度、帝国陸海軍、陸軍士官学校、海軍兵学校、内務省、農地改革によって奪われた農地!歴史等々等々・・・!
これを回復するのが「日本を取り戻す」だ。
押しつけられたものは、
日本国憲法、新皇室典範、新しい教育制度、教育基本法、
自虐的歴史認識等々等々・・・!
これを廃棄するのが、「日本を取り戻す」だ。
私は、政府主催のこの「式典」に出席した後、
そのずっと以前から井尻千男さんら有志が開き続けてきた主権回復を祝う国民集会に出席して、
「主権回復とは、
主権が無いときに奪われた
大日本帝国憲法と帝国陸海軍と教育勅語を回復することだ。」と演説した。
大きな拍手がとどろいた。
しかし、以後、安倍内閣は、今日のこの日、
二度と再び、「主権回復記念日の式典」をしなくなり、
「日本を取り戻す」も
「戦後体制からの脱却」も言わなくなり、
総理大臣は未だ靖国神社に参拝できない。
何じゃ、これは?
戦後体制からの脱却どころか、
戦後体制に逃げ込んどるやないか。
俺が、
大日本帝国憲法や、帝国陸海軍の回復を言い出したんで、
ビビったのか?
その程度やったのか!
あの時の、
憲政記念館での安倍総理の挨拶はよかったぞ。
目に涙を滲ませていたではないか。
「日本を取り戻す」以前に「あの時の自分」を取り戻せ!
本日、只今、
御代が変わった五月一日以降に送信する
「時事通信」の原稿を書き上げた。
久しぶりの「時事通信」、
御代が変わってから送信するのでご笑覧下さい。
昭和天皇が、
耐え難きを耐え忍び難きを忍んで
「万世のために太平を開かむ」と宣言された御志が
戦後の天皇家三代の歩みのなかで開花する御代が
令和だと書かしていただいた。
平成31年4月28日(日)