日本を信じよう!歴史と伝統のなかに脈々と生きる天皇と国民の絆こそ我が国最大の国力

令和1年12月12日(木)

我が日本の國體にとって、
まことに最深にして最重要な神事である新帝の大嘗祭が行われ、
令和元年も、いよいよ大晦日を迎える。
そして、令和二年を迎える今、
改めて平成の御代の位置づけをしておきたい。
何故なら、この位置づけを明確にしなければ、
令和の御代に於ける我々の覚悟の在り方も定まらないからだ。
それというのも、
平成から令和を迎えるにあたり、マスコミ等のつくる世相において、
「平成は、紛争や戦争のない平穏な御代であった」
という認識が主流であることに違和感を感じたのだ。
その理由は、
この認識は、内に閉じ籠もった者の偏った認識に過ぎず、
外部の国際情勢を観たものではないからである。
あたかも、かつてヨーロッパにおいて、
第一次世界大戦後の二十年間を「平和な二十年」と思っていたところ、
振りかえれば、ベルサイユ体制崩壊の時期であり、
実は、独裁者の軍備拡張を放置して戦争を産み出した
「危機の二十年」であったからだ。
結果においてイギリスのチャーチルが言ったように、
「平和主義者が戦争を作った」という歴史の教訓が、
現在の東アジアにおいて再現されるのではないかという不吉な思いがしたのだ。
そこで、
平成が、果たして平和な時代だったか点検してみよう。
そうすれば、現在の我々日本人の感覚が、
見れども見えず、覚ませども覚めず、という状態であることが分かる。
 
まず、一番分かり易いことから指摘する。
北朝鮮工作員が、我が国に潜入して日本人同胞を拉致して本国に連れ帰っていたことは、昭和四十年代から分かっていた。
ところが、我が国歴代内閣は、長年にわたり、それを見て見ぬ振りをしていた。
しかし、遂に、平成九年二月、
我が国政府は、北朝鮮が十三歳の横田めぐみさんを拉致したこと、
さらに、多数の拉致被害者がいることを認めた。
同時に、北朝鮮の元工作員は、
日本に潜入することは食事の最中にトイレに行くように容易だと豪語し、
さらに日本国内で多数の北朝鮮工作員が活動中であることも明らかになった。
そして、我が国警察は約八百八十名が
「拉致された可能性を排除できない」としており、
民間の特定失踪者調査会は「七十数名は拉致されている」と公表している。
しかし、我が国政府は、現在まで、
拉致被害者はたった十七名だと「認定」したままだ。
仮に、国内で強盗が十三歳の少女を人質にとって立て籠もった時、
政府や警察が、これを見て見ぬ振りをすれば法秩序は崩壊する。
これが、平和であろうか。
 
また、昭和四十年代、旧帝国陸軍士官学校五十八期の某陸上自衛隊一佐(大佐)は、
日本海側の海岸に、
夜間、頻繁に北朝鮮工作員が上陸して国内に潜入してくることを察知し、
訓練名下で部隊を指揮してその海岸に布陣して密かに待ち伏せた。
すると、まさにその日、
北朝鮮工作員が海岸に近づき潜入してきた。
よって、空砲を一斉射撃させた。驚いた工作員は慌てて逃げ去った。
その後、この一佐は、
この件は一切語らないという念書を書かされて自衛隊を退職した。
これは、日本国政府内に、
北朝鮮の我が国内における我が国主権の侵犯を
闇に封印しておこうという不可解なベクトルが働いていたことを示す事例である。
このこと、この某一佐と、私の岳父岡沢完治が、
ともに陸士五十八期だったというご縁で知り得たことだ。
さらに、昭和五十二年九月、
石川県警能登半島の宇出津から久米裕さんを拉致した犯人を逮捕し、
犯人の所持していた乱数表の解読に成功し、
北朝鮮の日本人拉致指令を突き止めた。
しかし、この石川県警の事例も先の某自衛隊大佐の事例同様、
国民の生命と安全に関する重大問題であるにも関わらず、
我が国政府は、あたかも無かったかの如く、封印した。
これ等の事実が、その時、明確に公表され、
我が国政府が北朝鮮の動きを防あつする態勢を構築しておれば、
その後の横田めぐみさんを始め、多くの日本人同胞は、
北朝鮮に拉致されることはなかったのだ。
 
平成二十五年一月十六日、
アルジェリアイナメナスの石油精製プラントを
イスラム過激派のテロ組織が襲い、日本人技術者十名が殺害された。
この直後に衆議院本会議における内閣総理大臣の所信表明があった。
私は、総理大臣が、テロ組織の犯人に対して、
「国家として復讐する」と明言するべきだと思い、その一言を待った。
しかし、それは無かった。

昭和四十七年九月、
ミュンヘンオリンピック選手村を
パレスチナテロ組織「黒い九月」が襲い、ユダヤ人選手等十一名を殺害した。
イスラエル首相のゴルダ・メイアは、
直ちに「復讐」を宣言し、
ゲリラの本拠地のキャンプを爆撃するとともに、
数年をかけて首魁を含む全犯人を殺害し、
テロリストに対する最大の抑止力は「復讐」であることを実証した。
以後、ユダヤ人をターゲトにした国際テロはない。
テロをすれば、イスラエルは、地の果てまで追いかけてきて復讐するからだ。
これに対して、我が国の総理は、
海外にいる多くの日本人の命を守るために最有力な、
「復讐」という言葉を発しなかった。
何故、「復讐」を決断できないのだ。
 
以上が、国民の安全に関することであるが、
国家の成立要件のもう一つの重大要件である国土に付いてはどうか。
韓国が不法占拠している竹島そして中共が奪おうとしている尖閣諸島
これらの我が国の領土に関して、
我が国政府は、断固たる防衛の意思を行動で示しているのか。
竹島尖閣に対して断固たる防衛意思を行動で示さない我が国総理が、
ロシアのプーチン大統領北方領土の返還を要求しても迫力が無く効果がないことは、
プーチンが態度で示してくれている。
次の十九世紀のドイツの法学者であるイエーリングの警告を記して、
我が国の現状を嘆かざるを得ない。
「隣国によって一平方マイルの領土を奪われながら、
膺懲の挙に出ない国は、
その他の領土をも奪われてゆき、
ついに領土を全く失って国家として存立することをやめてしまうであろう。
そんな国民は、このような運命にしか値しないのだ。」
さらに、
北朝鮮のミサイル発射と核開発
そして軍事大国化した中共
我が国主要都市に対する核弾頭ミサイルの実戦配備に対する政府の無反応は、
国民への裏切りに等しい。
この中共の核弾頭ミサイル増強に対する無反応は、
第一次世界大戦後の「平和な欧州」においてイギリスのチャーチルが嘆いた
次の情況に相当する(チャーチル著「第二次世界大戦」より)。

「過去を振り返って見るとき、
一九三三年なら、あるいは、一九三四年でさえも、
まだイギリスにとっては、
ヒトラーの野心に必要な抑制を加えるだけの空軍、
あるいは恐らくドイツ軍部の指導者たちに、
ヒトラーの暴力行為を制止させることができるだけの空軍
をつくることが可能であったろう。」

しかし、「イギリスは眠っていた」(ケネディーの大学院論文)
そして、気がつけば、
ヒトラーは自信をもって攻撃を開始できるだけの巨大な空軍を保有していた。
チャーチルの言う「空軍」を「中距離核戦力」に、
「イギリス」を「日本」に、
ヒトラー」を「習近平」に、
「ドイツ郡部」を「中共郡部」に、
置き換えられたい。

アメリカが中距離核全廃条約に加盟して中距離核を保有しない状況の中で、
中共は、日本列島、日本海東シナ海南シナ海を覆う
射程三〇〇〇キロの中距離核弾頭ミサイルの実戦配備を急いできた。
アメリカの空母打撃群を、第一列島線内に入れないためである。
もちろん、
中共の核弾頭ミサイルは、
我が国の主要都市に向けて実戦配備が為されている。
そこで、アメリカのトランプ大統領は、
中距離核全廃条約から脱退したのだ。
しかし我が国は、
このアメリカのトランプ大統領の決断に対する理解と共感を発信せず、
自ら、中共の核を抑止する態勢構築への決意を表明することもなく、
逆に、東京に核弾道ミサイルの照準を当てて実戦に配備している独裁者を、
こともあろうに、国賓として迎えるとは何事ぞ!
これは、日本国と国民への裏切りではないか!
現内閣は、奇怪である。狂っているのか。
 
以上の我が国の政府と国政の状況を観れば、
それは「平成の平和」ではなく、
眼を瞑れば世界が無くなる式の
「平成の危機認知症」に過ぎないことは、
お分かりいただけると思う。
平成は、平和な御代ではなく、
独裁権力の軍備拡大を放置して将来の動乱を呼び込む時代だった。
チャーチルが言う通り、
「平和主義者が戦争をつくる」準備期であった。
 
しかしながら、この平成の御代にあって、
天皇陛下と日本国民の絆が、
世界に対して、
我が国の最大の抑止力を産み出していたとこを、
誇りをもって確認し自覚せねばならない。
それは、
阪神淡路大震災東日本大震災という未曾有の大災害のなかで、
世界が目の当たりに見て驚嘆した我が国の天皇と国民の姿だった。
この両災害とも、
総理大臣は、申し合わせたように無能で馬鹿な左翼であった。
しかし、
被災地を見舞われる天皇と国民の絆、
そして、
被災地にあって秩序を失わない国民の助け合いと復興への意欲は世界を感嘆させた。
 
自衛隊は、東日本大震災において、
陸海空自衛隊を統合した十万七千という空前の救出救援の為の
統合任務部隊を組織した。
その隊長となった東北方面総監君塚栄治陸将は、
鉄兜と野戦服の姿で
松島基地に被災地視察と激励のために降り立たれた
天皇陛下に正対して敬礼し、陛下はその敬礼を受けられた。
この時、
自衛隊十万七千の統合任務部隊は、
天皇陛下の部隊となった。
そうであろうが!
統合任務部隊の隊長君塚栄治陸将は、
天皇陛下に敬礼して忠誠を誓ったのだ。
部隊は、その総指揮官が、威儀をただして敬礼する者に属する。
そして、彼ら自衛官は、
寝食を忘れて救出救援活動に没頭する。

この時、
我が国の統治者は誰であったか!
内閣総理大臣菅直人か?
彼は、被災地を歩けず、東電本社と官邸で「喚いていた」だけだ。
福島第一原発の一番重要な危機的な状況の時、
喚きながら発電所に乗り込んできて原子炉冷却作業の障害となった総理大臣菅直人を、
発電所所長の吉田昌郎は、「あのおっさん」と呼んだ。
そう、総理大臣菅直人は、ただのおっさんだった。
彼は、我が国を統治していたのではない。

この一千年に一度の未曾有の東日本大震災のなかで、
我が国の統治者は、
総理大臣の菅直人ではなく、
被災地の現場に赴き人々を励ます
天皇陛下
であった。
 
福島第一原子力発電所では、
被災した原子炉の冷却が出来ず、
水素爆発によって原子炉建屋の上部が吹き飛んだ。
このまま放置すれば、
日本は、
「人の住める北部」と「人の住めない中部」と「人の住める南部」の三つに
国土が分断されることになるし、
放射能の放出を止めることができない日本を国際社会は許容しない。
この時、
私には、第一原発が、日露戦争の「旅順要塞」のように見えてきた。
「旅順要塞」が陥落しなければ、日本は滅びた。
同様に、
福島第一原発」の冷却が出来なければ、日本は滅びるのか。
そうであれば、
旅順攻防戦と同じように
「白襷決死隊」が「原子炉建屋」に突入することになるのか、と!
この時、
原発処理を指揮していたCRF(中央即応集団)の宮島司令官は、
三月十六日深夜、
隷下の第一ヘリコプター団の金丸章彦団長に、
上部が吹き飛んだ灼熱の原子炉建屋の上から水を撒けと命令した。
それを知ったアメリカ軍の将官は、
「人の命を何とも思わないような作戦はするな」
と言った。
しかし、第一ヘリコプター団は、
翌早朝、二機の大型ヘリCH47チヌークを原子炉建屋上空にホバリングさせ、
約四十トンの水を投下した。
この映像は世界に流れた。
すると、東京市場の株価が下げ止まった。
そして、CRF司令官は、アメリカ軍が本気モードに入っていくのを感じた。
また、中共軍の将校は、第一ヘリコプター団の金丸団長に言った。
「日本人は、戦前戦後、全く変わっていない。
簡単に命をかけてくる。
もし、日本に核弾頭ミサイルの照準を当てて発射準備をすれば、
日本人は確実に飛行機に爆弾を満載してミサイルに突っ込んでくるだろう。」
このこと、後に金丸団長が、
伊丹の中部方面総監部に異動してきたときに、総監部の廊下で出会い、
私が、CH47による壮挙を讃えたときに聞いた。
まさに、
明治天皇日露戦争時の御製
敷島の 大和心の ををしさは ことある時そ あらわれにける
この通りの情景が未曾有の大災害の際に顕れたのだ。

以上の通り、
令和元年の御代が、いよいよ大晦日を迎える時、
平成の御代を振り返り、
我が国の歴史と伝統のなかに脈々と生きている
天皇と国民の絆こそ、
我が国の最大の力の源泉であることを確認した次第だ。
現在の内閣をはじめとする政界の面々は、
「戦後体制」、
即ち、
日本国憲法体制」=「GHQ体制」の中に閉じ籠もり、
「危機認知症集団」が楽しんで禄を食んでいるが、
令和の御代には、
地震という天変地異ではなく、東アジアの動乱に直面して、
必ず、この認知症の群れを除去できると確信する。
諸兄姉、日本を信じよう。
そして、
我々の目の黒いうちに、
中国共産党独裁体制の崩壊と、
東アジアの諸民族に
五箇条の御誓文で誓われている「萬民保全の道」が拓けるのを
見ようではないか!