戦後から日本を回復する、即ち、抜本塞源、即ち、悪の根源を絶つ。

令和2年1月27日(月)

 令和二年になった節目に、改めて確認しておきたいことがある。
それは、我が日本には、「世俗の法」とは別に
「國體の法」もしくは「天皇の法」、「禁中の法」
ともいうべき不文の法が厳然としてある、ということだ。
この「國體の法」は、次の尊い社会的事実のなかで、我らの眼前に顕現した。
 
即ち、
先帝陛下は、平成二十八年八月八日の国民への「お言葉」によって、
皇太子への「譲位」の御意思を表明された。
この時点で、先帝は「世俗の法」の次元を超えられ、
世俗ではない神聖な「國體の法」の領域に入られたのだ。
何故なら、この出来事は、天皇が自らの御意思で皇位を譲るという事態であり、
日本国憲法の想定外のことであるからだ。
その上で、先帝は、
平成三十一年四月に、初代天皇である橿原の神武天皇御陵と
天皇の祖である天照大御神をお祀りする伊勢神宮へ御親拝され、
神武天皇天照大御神に譲位を御報告された。
そして同月三十日の退位礼正殿の儀と共に三種の神器である剣璽の承継が為され、
翌五月一日、皇太子が践祚され第百二十六代の天皇になられた。
次に、新帝は、即位礼正殿の儀によって、
天照大御神と歴代総ての天皇と皇族そして日本の総ての神々に対して
即位を御報告され、
さらに、最深の秘儀である大嘗祭によって、天照大御神と一体の現(あら)人(ひと)神(がみ)になられた。 
 
この大嘗祭において、
天照大御神と新帝が、
新しく建てられた大嘗宮の悠紀殿と主基殿のなかで深夜に「同床共殿(どうしようきようでん)」された。
お一人で大嘗宮に入られた新帝は、
御自ら、天照大御神の御膳をつくられ御自分にも同じ御膳をつくられて共に食事をされた。そして、深夜、新帝は麁服(あらたえ)という大嘗祭の為だけに織られた特別な麻の織物を体に巻いて、天照大御神と同じ床に休まれた。
この時、降りてこられた天照大御神と新帝が一体になられた。
このように、歴代天皇は、即位されれば、
大嘗祭によって、天照大御神と一体になられてきた。
即ち、天照大御神は、
神武天皇以来百二十五代の歴代天皇を生き通して現在の天皇に生きることになる。
これが「万世一系天皇」の真義である。
その真義とは、
初代の神武天皇も百二十六代の今上陛下も、
ともに天照大御神の天壌無窮の神勅による天皇であるということだ。
この神秘なる我が国の皇位の継承が、
平成二十八年から令和元年まで、
明らかに我らの眼前に顕れていた。
そして、これを顕したものは、「世俗の法」ではなく、
天照大御神による「國體の法」、「天皇の法」であった。
即ち、以上の事象を律したのは、日本国憲法ではなく、
天皇の衣、御膳の食べ物、大嘗宮の建て方に至るまで、
我が國の歴史と伝統のなかにある不文の法であった。
 
さて、
ここにおいて、国家に於ける法の存在の仕方を確認したい。
我が国は、明治以来、欧米の成文法主義を受け入れ、
法といえば、国家の根本規範である憲法を含めて、
総て紙に文字で書かれたものと思い込みがちだが、
れは「形式的意味の法」と言われるもので、
他に文字で紙に書かれてはいないが、
国の歴史と伝統のなかにある「実質的意味の法」が存在していることを忘れてはならない。むしろ、
神話と歴史が断絶せずに連続している我が国においては、
紙に書かれない「実質的意味の法」がゆたかに存在し、
その最高位にある法が、前記の「國體の法」である。
次に、紙に書かれた「形式的意味の法」は、
如何にして紙に書かれるのかを考えれば、
それは、「実質的意味の法」を文字にして紙に書くという順序になる。
即ち、「形式的意味の法」は、
「実質的意味の法」の裏打ちがあって始めて法としての実効性があり機能するのだ。
そこで、次に、
我が国の二つの成文憲法、即ち、大日本帝国憲法日本国憲法を裏付ける
「実質的意味の法」の有無を点検してみる。
 
まず、明治二十三年十一月二十九日に施行された大日本帝国憲法を起草した
井上毅天保十四、一八四四年~明治二十八年)は、
熊本藩士として幕末にフランス語を学び、
明治五年から六年までの一年間、フランスとドイツで司法制度を調査研究して、
法の背景にある国の歴史を重視する必要性を自覚して帰国した。
そして、大日本帝国憲法を起草するにあたり、
寝食を忘れて古事記日本書紀及び万葉集などの古典を調べ尽くして、
我が国の不文の「國體の法」を把握したうえで、
次の第一条から第四条を書いた。

第一条「大日本帝国万世一系天皇之を統治す」
第二条「皇位皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す」
第三条「天皇は神聖にして侵すへからす」
第四条「天皇は國の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ」
 
私は、この条項は、
前記の平成から令和の御代替わりに、
我々の眼前に顕れた皇位継承の姿と一致すると判断する。
上記の通り即位された新帝は、
令和二年一月に国会を召集されているが、
之、まさに、國の元首にして統治権を総攬する行為である。
また、第三条にある「神聖」という言葉は、
天皇皇位は、
天照大御神の天壌無窮の神勅に基づく」、
という神秘性を一言で表したものだ。
トランプ氏にように、国民の投票で選ばれたものではない、ということだ。
選挙で地位に就いた者には「神聖」はない。 

これに対して、
昭和二十一年二月に我が国を占領していた連合軍総司令部(GHQ)の民政局員二十数名(アメリカ人)が、十日ほどで書いた日本国憲法の第一条
天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は主権の存する国民の総意に基づく」
との条文には、
「実質的意味の法」の裏付けがなく意味不明で嘘だ。
先ず「象徴」という文言は、法的には意味不明であり不適切だ。
最高法規である憲法の第一条に書くべきは、
明確に「国の元首」であるか否かであろう。
さらに、この時期に、
天皇を国の象徴とする」という国民投票でもしたのか。否だ。
よって、この条文は意味不明かつ嘘である。
 
次に、日本国憲法の条文で、
意味不明どころか、明確な許しがたい文明に対する裏切りともいうべき
偽善と欺瞞と復讐の悪意を顕したものを指摘しておく。
それは、
表現の自由と検閲禁止を規定した二十一条と
刑罰の不遡及を規定した三十九条である。

二十一条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」
三十九条「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪となった行為については、 刑事上の責任を問われない。」

だが、この二十一条と三十九条を書いたGHQは、
これを無視して平然と、三十項目にわたる厳しい検閲を実施し続けて、
我が国民の表現の自由を奪いながら、同時に、極東国際軍事裁判東京裁判)で、
刑罰不遡及の原則を犯して被告人七名を絞首して殺害する。
しかも、連合国最高司令官マッカーサーは、
まさに、三十九条によって違法となる東京裁判開廷一周年に当たる五月三日を選んで、
日本国憲法を施行させているのである。
 
GHQの検閲項目は、
①SCAP(連合国最高司令官司令部)に対する批判
極東国際軍事裁判批判
③SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判
④検閲制度への言及
以下三十項目である。
従って、極東国際軍事裁判のインドのパール判事は、次の判決文を書いていたが、
GHQの検閲によって、日本国民がそれを知ったのは、
サンフランシスコ講和条約が発効してGHQの占領が終了した
昭和二十七年四月二十八日以降である。

「この裁判は、国際法に違反しているのみならず、
法治社会の鉄則である法の不遡及を犯し罪刑法定主義を踏みにじった
復讐裁判に過ぎない。」
 
仮に、日本国憲法が、「日本の憲法」ならば、
その施行日の昭和二十二年五月三日限り、
検閲は禁止され
東京裁判は中止され、
被告人達は巣鴨から釈放されたはずだ。
しかし、GHQの検閲と裁判は続行され、七名は絞首された。
これは、日本国憲法が「日本の憲法」ではない決定的な証(あかし)だ。
しかし、日本国民が、
これを「日本の憲法」と思い込んだのが検閲の成果だった。
これほどの偽善と欺瞞と悪意に満ちた占領統治があろうか。
無念憤怒の思い腹に満ちる!

この憤怒の思いの中で、
最期に書いておきたいことが、ふと脳裏に浮かんだ。
それは、
F・ルーズベルトトルーマンマッカーサー以下GHQのアメリカ人とは、
こういう種族であるということを、
アメリカ人自身がアメリカ人に語った言葉である。
アメリカ人は、
「西部略奪」を「西部開拓」という。その時代に生きた者の言葉だ。
「動物記」で有名なアーネスト・シートンは、一九一五年十二月、ワシントンで
西部劇で有名になったバッファロー・ビル(本名ウィリアム・コディ)と会食した。
その時、バッファロー・ビルが言った(シートン著「レッドマンのこころ」)。

「私は何度も遠征隊を率いてインディアンと闘ったが、
そのたびに我が身を恥じ、我が政府を恥じ、
我が軍の旗に恥ずかしい思いをした。
正しいのはいつも彼らインディアンであり
間違っているのはいつも我々アメリカ軍だったからです。
彼らが協定を破ったことは一度もありません。
我々が協定をきちんと履行したことも一度もなかったのです。」

我々日本人とインディアン(ネイティブアメリカン)は、
数万年前に、ウラルアルタイの何処かで共通の先祖をもっていたのだ。
そのインディアンは、アメリカに滅ぼされた。
我々も、同じ手口でアメリカにやられた。
しかし、日本は滅びなかった。
天皇を戴いていたからである!
そして、これから、
日本民族は、
世界諸民族、萬民保全の為の文明を樹立する使命を果たす。
これが、白人に滅ぼされた兄弟の仇をとるということだ。
 
以上、「月刊日本」への寄稿文に加筆した。

 

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