日本の食文化に感謝する。

令和2年1月30日(木)

令和二年一月二十九日の朝刊は、
中国の武漢市で発生した新型コロナウイルスが、
日本国内で人から人へ感染したことを始めて確認したと報じている。
この人は、武漢市からの観光客を乗せたバスの運転手で、
武漢への渡航歴はなく日本人初めての感染者となった。
これで、我が国内で感染が確認された患者は武漢在住中国人で日本に渡航してきた六名と日本人一名の七名となった。
 
二十九日に、中国本土には四千五百十五人の感染者がいると中国当局は発表していたが、これは二日前の発表から二千五百名の急増である。
そして三十日朝の報道では、
感染者は七千七百人で前日より三千二百八十五人も多い。
この数字の変遷は、もちろん感染者の増大を示しているが、同時に、当局が感染者実数を把握できていないことを示している。従って、中国は感染拡大を防あつできない。
もともと、湖北省武漢市は、
この新型コロナウイルス患者の発生を、一ヶ月以上隠蔽してきて、
発覚してからも、当初は、このウイルスは人に感染しないと言っていたのだ。
そして、一月二十六日になって、やっと記者会見した湖北省長と武漢市長は、
始めて彼らの顔を見た住民を唖然とさせる馬鹿会見を行った。
湖北省長は、我が省では一〇八億枚のマスクを生産しているので大丈夫と豪語したが、
すぐ一八億枚に訂正し、それを再び一〇八億枚に訂正した。
武漢市長はマスクを裏表逆に着用していた、と報じられている。
つまり、彼らは、もともと無能で、
習近平のご機嫌だけを取りゴマをすって共産党内で出世した者達である。
こういう奴が省長と市長をしている湖北省武漢市の人口は膨大で、
それぞれ六千万人と一千百万人だ。
従って、この新型コロナウイルス感染の終息はかなり後になり、
東京オリンピックにも影響が出るだろう。
 
十八年前に、中国南部の広東省を中心に起きたSARS(重症性呼吸器症候群)という
動物(ハクビシン、キツネ、ネズミ等)を起源とする
人獣共通の感染症コロナウイルス(致命率9・6%)が、
瞬く間に世界中に拡がったことがあった。
この度も、ネズミが起源らしい人獣共通の感染症であろう。
中国人は、何でも食べる。
作家の魯迅が「狂人日記」で書いているように、人間も食べてきた。
従って、これからも、
中国起源の新たな人獣共通の感染症が発生し、
共産党独裁体制というおぞましい人災との相乗効果で
世界に蔓延することになるであろう。

さらに動物の肉を食べて発症するおぞましい病気として、
クロイツフェルト・ヤコブ病を思い起こすべきだ。
この病気は、異常プリオン蛋白質を含む牛の肉を食べた人に発症して、
以後、人から人に伝染する。
そのウイルスは患者の脳に入り、
全身の不随運動と急激な認知症を発症させて、平均一年余で死に至らせる。
イギリスで、牛の骨粉を食べさせて飼育していた食肉牛に端を発した病気である。
 
以上の通り、
人間は、特に西隣の十数億人は、あらゆる動物を食べるから、
これからさらに新種の得体の知れないウイルスが獣から人に感染し、
国際社会に蔓延することが予想される。
従って、我が国は、
自衛隊の防疫部隊の充実を含む高度な防疫体制を構築すべきである。
そして、いざという時には、
発生源の中国に、この度のような、
その共産党独裁体制からくる情報隠蔽や開示の遅れがあるのだから、
それに付き合って対策を遅らせるのではなく、
我が国自身の情報収集力を高め、
発生源からの迅速な入国阻止体制を実施できる能力を保持すべきである。

それにしても、振り返ってありがたく思うのは、
我が国の風土に根ざした伝統的食文化の清潔性である。
それは、
我が国が、ハンチントンが言ったように、
支那圏とは一線を画した独自の日本文明圏を形成していることに由来する。
よくぞ、ご先祖は、
支那圏政治文化のおぞましい「宦官制度」とともに、
いろんな獣を食べる支那圏の食文化を、
受け入れず、「日本の食文化」を維持してくれたものだ。
従って我々は、
フランスのミシェランの☆☆☆の料理人を高く評価する以上に、
我が日本の伝統的食文化の達人を高く評価するべきだ。
江戸中期の観相学の大家水野南北(一七六〇年~一八三四年)は、
人の運命は、何を食べているかで定まる、と言ったが、
食は、人だけではなく民族の運命をも定める、のではないか。
将来、食から体内に入った新型ウイルスの蔓延により、
ある民族が絶滅する事態が生じるかも知れない。
その時がまさに、人類絶滅の危機だ。
 
さて、
この武漢発の新型コロナウイルス日本侵入の時に我が国の通常国会が開会された。
その通常国会を見ると、
関心は依然として「総理主催の花見の会」出席者問題であり、
マスコミは、「それなら結婚するな」のヤジ問題を特集していた。
先に、中国の湖北省武漢市の省長と市長のお粗末さを指摘したが、
我が国国会こそ、同様にお粗末で退廃している。
そこで、指摘しておく。
「花見の会」は、
主催者が誰を招待するか決めるのが当たり前だ。
主催者だからそういう裁量をもっている。
京都の先斗町祇園上七軒そして東京新橋の芸者や舞子衆を招待してもいい。
私が主催者ならそうする。
しかし、この「花見の会」は、
マスコミが総理の周りに群がって集合写真を撮る面々の情景だけを流しているので、
招待されれば何か良いことでもあるようなイメージを視聴者に与えているが、
実は、何の風情もない殺風景な会で、広場に花が咲いているだけで、
なーんだ、これなら、
上野公園や靖國神社千鳥ヶ淵井の頭公園に行ったほうが良かったと、
馬鹿にされたような、何か、行って損したような思いになるお粗末な「花見の会」だ。
従って、総理と写真を撮って喜んでいるのは、ちょっと無粋でパーかと思う。
これを、野党議員とマスコミが、
参加者に「うま味がある」かのごとく吹聴するのは、事実に反する。
 
次に、結婚で悩んでいる男のことを、
代表質問で取り上げた野党議員はアホではないか。
この議員は、ある男が結婚したい女が、
結婚して姓を変えるのは嫌だと言うので結婚できない、
これは国の制度が悪いからだと思って質問したのだろう。
しかし、
夫婦が同じ姓であるのは、我が国の文明に根ざした一貫した伝統である。
従って、その男は、
どうしても結婚したいのなら、姓を女の姓にするか、
それとも結婚を断念するか、
自分で決めればいいだけのことだ。
また、姓をどちらに決めても通称名はそのままでよいではないか。
つまり、これは、
国会議員が本会議で質問する問題ではない。
その男自身が、どうするか決める問題だ。
男は、女の姓になれない。
そして、女が翻意しないのなら、結婚するな。
男はこれを自分で決めろ。
これが分からんで本会議で質問している議員に、
「それなら結婚するな」というヤジが飛んだ。
当たり前だ。
当意即妙のヤジは昔から「議場の花」と言われる。
このヤジは、「議場の花」である。

 

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