緊急事態宣言に関して思うことと、「四方拝」

 

緊急事態宣言に関して思う。

 

七日の夜、武漢ウイルス禍克服のために
総理大臣の「緊急事態宣言」が為された。
初めてのことで大騒ぎをしているが、
緊急事態を想定していない「日本国憲法と題する文書」
を信奉している内閣が発するのだから、
「こういうこと」だろうと思っていた。
しかし、本日、
日本が緊急事態宣言を出すと注目していた諸外国の反応を知って、
この一文を書く気になった。
フランスなどの諸国は、
ほぼ、次のような感想を漏らしていたのだ。
即ち、
我が国の緊急事態宣言には、
国民に対する「お願い」と「要請」が書かれているだけで、
強制措置はない。
従って実効性に疑問がある。

この欧米諸国の感想を知ったとき、
次の思いが湧いた。

馬鹿、
西洋は、未だ日本と日本人の本質を知らんらしいな。
我が国に於いては、国民に対する誠意あるお願いと要請は、
欧米諸国の国民に対する強制措置よりも実効性があるのだ。
特攻隊の若者は、
強制されて突っ込んだのではなく要請を承けて行ったのだ。
同様に、この度、お願いと要請を承けた日本国民は、
これから西洋諸国より迅速にウイルス禍を克服せにゃならん。

別に、安倍内閣を弁護しているわけではない。
しかし、
我が国に於いては、
国民に対する願いと要請が、
強制措置をもつ命令よりも実効性がある。
それを実証する最大最深のものが、
天皇陛下勅語だ。
庶幾う(こいねがう)で結ばれている
教育勅語の「力」を思い起こそう。

 

自衛隊で最初の特殊部隊となった
海上自衛隊の「特別警備隊」創設に関与した
伊藤祐靖元二等海佐(中佐)は、
自衛隊を退官後、
フィリピンのミンダナオの海で訓練を続けていたが、
思わぬことで、二十歳そこそこのミンダナオの女の子から、
日本という国の本質を聞かされた(同氏著「国の為に死ねるか」文春新書)。

ある日、その女の子(以下、A子という)は
海底六十㍍の地点に沈んでいる日本の軍艦から銅板を引き上げてきて伊藤氏に見せ、
何と書いてあるのかを尋ねた。
その銅板には、関東大震災後の混乱を鎮めるために
大正天皇が国民に発した詔
が刻まれていた。
伊藤氏が一日かかって、その詔を英語に訳してA子に見せると、
A子は
「あなたはエンペラーが書いた命令文だと言っていたが、違う」と言った。
伊藤氏は
「何を言っているんだ、これは確かにエンペラーが書いたものだ」
と言ったが、
A子は
「でも、命令なんかしていないじゃない。願っているだけじゃない。こいねがう、としか言っていないわよ。」と反論し、
「エンペラーは、願うんじゃなくて、命令するのよ。」
と念をおし、
「願うだけで、変えられるのは部族長だけだ」
と言った。
そして、当時の日本の人口を六千万人だと知って、
A子は、
「六千万人全部が一つの部族で、
それに部族長がリクエストを出すっていうのがすごい。
私の所とは、規模が違う」
と感心した。
このA子の言うことを聞いて伊藤氏は、
次のように書いている。

「すべてが附に落ちた。同時に、激しい自己嫌悪を感じた。
なんで、ミンダナオ島の二十歳そこそこの奴から、
詔書の真意と日本という国の本質とを
教えられてしまうんだ。」

以上の通り、
昨日の「非常事態宣言」と
それに対するフランスをはじめとする
異邦の国々の反応に接して、
我が日本の本質(國體)に思いを致した次第。
諸兄姉、
安倍内閣そして我が国政府は、
当初、こともあろうに、
あの習近平のご機嫌を伺う頼りなさを露呈して
国際的にも、みっともないことこの上なかったが、
ことここに至った今、
かつての東日本大震災の被災地の国民が、
全世界を驚かす自発的な団結の姿を示したように、
この度は、
全国民が団結して武漢ウイルス禍克服に進み、
強制措置を以て命令される国以上の
我が日本の強靱さを世界に見せようではないか!

 

昨日のFBで、
我が国の天皇は、国民に命令するのではなく、
国民にお願いし、
国民の為に祈る方であると記した。
では、その天皇の祈りとは!
このことを心に刻むために、
最も重要な宮中祭祀の一つである
四方拝について述べておきたい。

昨年の先帝の御譲位による践祚の後、
新帝は、
晩秋の大嘗祭を経て、
本年元旦、宮中の神嘉殿において四方拝の儀式をされた。

大嘗祭は、新帝が天照大御神と一体になられる
即ち「現人神」になられる儀式である。
では、天照大御神と一体になられた天皇が、
元旦、たったお一人で行われる四方拝とは如何なる儀式か。
このこと、あまり語られないが、
神秘的な四方拝が行われたということは、
現在、武漢ウイルス克服に向かう我が国にとって、
まことにありがたく、まことに重要なことだ。

四方拝は、宮中祭祀のなかで、大嘗祭とともに最も重要な祭祀である。
従って、昭和天皇は、
昭和二十年一月一日午前五時、警戒警報が鳴り、
宮中内の高射砲陣地からサーチライトが空を照らす中で、
四方拝をされた(藤田尚徳著「侍従長の回想」)。

四方拝は、
元旦、寅の刻(午前四時ころ)から
黄櫖染御袍(こうろぜんごほう)に身を包まれた天皇が、
宮中三殿の神嘉殿の南側に設けられた建物にお一人で入られて行われる、
皇祖相伝の儀式(秘儀)
であり、侍従も見ることはできないが、
天皇は、
伊勢の皇大神宮豊受大神宮の両宮に向かって礼拝された後、
四方の諸神を拝したのちに、
呪文を唱えられる。
その呪文は、
総ての災厄などの悪いものは、
皆、ことごとく我が身を通れ、
我はそれを浄化したいという決意を表明した呪文である。
この呪文は、
天皇御自身でなければ唱えられず、御代拝は認められない。
呪文は、次の通りと教えられている。

 

呪文
賊冠之中過度我身(ぞくかん しちゅう かどがしん)
毒魔之中過度我身(どくま しちゅう かどがしん)
毒気之中過度我身(どくき しちゅう かどがしん)
毀厄之中過度我身(きやく しちゅう かどがしん)
五急六害之中過度我身(ごきゅうろくがい しちゅう かどがしん)
五兵六舌之中過度我身(ごきゅうろくぜつ しちゅう かどがしん)
厭魅之中過度我身(えんみ しちゅう かどがしん)
萬病除癒(まんびょうじょゆ)
所欲随心(しょよくずいしん)
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)

 

諸兄姉、
我が国は、
すべての悪いものは、
皆、我が身を通れ(過度我身)
我がそれを浄化したいと願う
天皇を戴く家族の国なのだ。

とてつもない国ではないか!

ありがたさ、心にしみる!

従って、我ら日本国民を、
フランスをはじめとする欧米諸国が、
彼等と同様の「命令と強制措置」がなければ動かない国民だと思うのは
間違いなのだ。

この四方拝を知ったうえで、
天皇の御製を詠めば、またありがたさが増す。

明治天皇の御製
あらし吹く世にも動くな人こころいはほにねざす松のごとくに