英霊に誓う日本国憲法無効宣言・堕落した八月

令和1年8月16日(金)

八月十五日の正午の時報とともに、
靖國神社の一の鳥居と二の鳥居の中間点で直立して英霊に黙祷し、
午後三時半に、
参集殿前に集まった百七十名の仲間、同志とともに昇殿参拝をさせて頂いた。

昇殿参拝前の参集殿での待ち時間に、
田母神俊雄航空幕僚長とともに、
同志に訴えることができた。

田母神俊雄閣下は、次の通り述べた。
令和の御代の初めて迎える八月十五日に、
安倍内閣総理大臣は、靖國神社に参拝すべきである。
第一期安倍内閣の際に靖國神社に参拝しなかったことを
痛恨の思いであると申した安倍さんが、
第二期安倍内閣に入った本年も参拝しないことを、
中共及び韓国から見れば、
日本は中共や韓国の内政干渉を、
これからも受け入れ続けるというサインと受けとめるであろう。
我が国が内政干渉を受け入れない自立した誇りある国家であることを示すためにも、
安倍総理は、
本日、靖國神社に参拝すべきである。

私は、次の通り述べた。
これから昇殿参拝するが、
我々は、英霊に、次の誓いをしようではないか。
それは、
マッカーサーが書いた日本国憲法は無効である!
と宣言する誓いだ。
子供の頃の私に、
戦地から内地に帰還した人達が、異口同音に言っていたことは、
國に帰って、戦地で敵として戦っていたアメリカ兵に、
すがりつくよう腕を組んで歩く日本の若い女の姿、
アメリカ兵の投げるチューインガムを群がって拾う子供の姿、
を見たとき、愕然としたということだった。
しかし、戦地で戦死した英霊は、内地のこの姿を見ていない。
そこで思う。
これから、昇殿して会う英霊は、
敵の司令官マッカーサーが書いた憲法を、
後生大事に日本の憲法だと思い込んでいる我々を見てどう感じるだろうか、と。
英霊は祖国が敵に占領されない為に命を懸けて戦った。
その英霊が、
敵に与えられた憲法を日本の憲法と信じ込んでいる我々の姿を見れば、
現在の日本人は、
負ければすぐに勝った者にすがりつくパンパンと同じだと愕然されるであろう。
そんな卑しい者の為に命を懸けて戦ったのか、と。
従って、我々は、英霊の前で、憲法無効宣言を誓わなければならないんだ。
これが、日本を取り戻す、戦後体制から脱却する、ということだ。
我々は、日本を取り戻すために、さらに同志を募り力を合わせよう。

 

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堕落した八月だ!

本年八月も、
アメリカ軍による
六日の広島と九日の長崎への原子爆弾投下と、
大東亜戦争終結詔書」が、
正午の時報と共に、
昭和天皇の玉音によって
国民にラジオで直接伝達された十五日の
各行事を終え、
マスコミの、いつも通りの「戦争特集」も終わった。
「いつも通り」というのは、
勇戦奮闘した戦没者の栄誉を称え鎮魂することよりも
戦争の「悲惨」そして「反省」と「平和」への願いが満ち溢れるからだ。

テニアン島の滑走路に、
アメリカ軍が「historic Point」という表示を立てて保存している
原子爆弾(コードネーム リトルボーイ ウラン325)を
B29爆撃機エノラ・ゲイ)に搭載した場所と
二百㍍ほど離れた
原子爆弾(コードネーム ファットマン プルトニューム)を
B29爆撃機(ボックスカー)に搭載した場所がある。

私はかつてテニアン島を訪れて、
この二つの地点に立った。
ここには、この地点こそ
「歴史的なことをした地点」だとの表明はあるが、
反省や平和への願いはかけらも感じさせない。
そして、次に、
この二機のB29が
広島と長崎に向けて飛び立った滑走路を歩いた。
私は、この二つの地点と滑走路こそ、
アウシュビッツダッハウ絶滅収容所を凌ぐ地点だと感じた。
八月六日と九日を迎える度に、
テニアンでの無念の思いが甦りこみ上げる。

そこで、結論から言う。
戦争も侵略も略奪もテロも悲惨も、
かつてあったし、今もあるし、これからもある。
この中にあって、
戦争に関し、
反省と平和を祈ることだけを評価する社会は偽善者の社会だ。
戦後の我が国の社会は、
戦争を反省し平和を祈る者だけを評価してきた。
私は、非難されても、
その偽善者の群れの一員にならなくてよかったと思う。

我々は、
断固として戦争に立ち向かった者を評価しなければ、
これからの我らの祖国である日本の
国家の自立も独立もあり得ないことを知らねばならない。
英霊は、
平和を願いながら断固として戦争に立ち向かった同胞である。
この誇り高い同胞を知りながら、
ただ「反省」と「平和祈願」に明け暮れ、
その「反省」の結果、
総理大臣が靖國神社に参拝できない八月とは、
情けない月であり、異常な月だ。

この度、イギリスの首相となったボリス・ジョンソンは、
物書き上がりの人物である。
彼は、以前、戦時下のイギリス首相チャーチルを讃える
チャーチル・ファクター、たった一人で歴史と世界を変える力」
という題の本を書いた。
その中で、ジョンソンは、
ダンケルクでイギリス軍が潰滅して、
イギリス中枢に、ドイツとの和平を求める声が強まった時、
チャーチルが、断固として戦争を続けることを訴え、
イギリスを全面戦争に突入させていった歴史的演説を評価して
次のように書いている。

「そのチャーチルの決断から一年以内に
三万人に及ぶイギリス人男性、女性、子供達が殺害された。・・・
屈辱的な平和か、
罪なきイギリス国民の大量殺戮かの選択肢を前に、
『交渉しない』という選択ができる
チャーチルのような気骨の政治家を現代に想像するのは難しい。」

そのチャーチルの歴史的演説の末尾は、
次の通りである。

「・・・この長い歴史をもつ私たちの島の歴史が、
遂に途絶えるのなら、
それは、我々一人ひとりが、
自らの流す血で喉を詰まらせながら
地に倒れ伏すまで戦ってからのことである!」

勝敗は戦の常である。
我が日本は、無念にも負けた。
その上で、
我々の同胞こそ、
チャーチルと同じ思いで戦ったことを確認しようではないか。
従って、
祖国の為に
自ら流す血で喉を詰まらせながら地に倒れ伏すまで戦った英霊に、
戦争の悲惨な「犠牲者」というレッテルを勝手に貼り付けて、
その祖国の為の勇戦奮闘を感謝することもせず、
ただただ戦争を「反省」し「平和」を祈るだけの八月では
「偽善者の祭典の月」に堕落してしまう。
従って、
この我が国の堕落を止めるための
総理大臣の責務は、
靖國神社参拝にありと言うのだ。
それが分からんのか。