横田滋さんを偲び、妻の早紀江さんと共に日本を救った貴重な瞬間を思う。

令和2年8月7日(金)

横田滋さんが、六月五日に帰天されてから、三ヶ月が経ち、
お盆の八月になっている。 
横田滋さんを偲び、
妻の早紀江さんとともに日本を救った瞬間を確認する
その間、度々、横田滋さんと妻の早紀江さんの歩み、
娘のめぐみさんをはじめとする拉致被害者のことを思った。
そして、三ヶ月を経るなかで、
横田滋さんと同じように、
一途な生涯を過ごした方が、我が国の歴史のなかにおられるのを、感じる。
その人は、栃木の足尾鉱山から流れ出る鉱毒の為に
疲弊し水没してゆく谷中村を必死で守ろうとした明治の田中正造だった。
田中正造は、「栃木鎮台」と渾名されるほど激しい男であり、
鉱毒のために水没してゆく谷中村に無関心な世相と政治の中で、
「亡国を知らざればこれすなわち亡国」と叫んだ。
谷中村を守ることは日本を守ることだ、
谷中村を見捨てることは日本を滅ぼすことだ、と。
そして、田中は、最晩年に、
水没してゆく谷中村に住み続けて辛酸のなかで生涯を閉じた。
彼が最後に遺したものは、
木綿の小さな袋に入った三つほどの小石とボロボロの新約聖書だけだった。

田中正造は、抽象的に民権や人権を論じなかった。
ただ眼の前にある具体的な谷中村の救出だけを目指した実践の人であった。
従って、明治の民権思想や人権思想の運動の歴史の中で無視され、
其の名を記されることはない。
しかし、抽象的な民権思想を語った時流に乗る「知識人」は忘れられても、
田中正造の目指したものは、彼の死と谷中村の滅亡で終わらず、
そこから始まり現在に伝わっている。
 
横田滋さんは、怒濤のような明治の田中正造とは全く逆の人であり、
微笑みながら訥々と話す静かな普通の方だった。
しかし、田中正造と同じように、
抽象的に人権や政治を語る人ではなかった。
ただひたすら、
突如として拉致されていなくなった娘のめぐみさんのことを語り、
そのことによって、戦後日本に於いて、
誰よりも深く、そして、誰よりも強く
「公(おおやけ)」、即ち、「国が動かねばならない責務」を語った。
横田滋さんの語りには、一切の「私情」はなかった。
それ故、経済的利害得失(私情・私利)に関心が集まる
戦後という閉塞した時代の中で、
田中正造が明治に訴えた
「亡国を知らざればこれすなわち亡国」
の叫びと同じ強さで国民の心情に届き、
これからも生きた言葉として国民の心に甦り続ける。

我が国の戦後という時代空間においては、
声高に抽象的に人権を語る者ほど、
北朝鮮に拉致された国民の人権に無関心だった。
即ち、声高に人権尊重や反戦平和を叫ぶ者ほど、
北朝鮮に拉致された国民の人権と平和は無視している。
社会党などは、北朝鮮に同調して拉致はでっち上げだと非難したのだ。
横田滋さんが、街頭で娘のめぐみさんの救出を訴えるビラを手渡そうとすると、
私の眼の前で、社会党に同調する歩行者が、そのビラを払い落とした。
このような「戦後」は、
亡国の輩の時代である。

私の平成九年二月の衆議院予算委員会の質問で、
橋本総理は、
「昭和五十二年十一月十五日、
十三歳の中学一年生の横田めぐみが、
新潟から北朝鮮に拉致されたこと」
を認めた。
この時、国会内の雰囲気で印象に残るのは、
「日朝友好に反する」という野次と困惑のざわめきがあったことだ。
つまり、思想的もしくは金儲けという実利に絡んで
北朝鮮と親しい議員連中が困惑していたということだ。
また、この時、
北朝鮮の主体(チュチェ)思想の大物理論家で
金日成総合大学学長、朝鮮労働党国際担当書記の黄長燁(ファン・ジョンヨプ)が、
主体思想の講演の為と称して来日しており、
帰国と見せかけて北京に飛び、
二月十二日に韓国大使館に駆け込み亡命申請するという事件があった。
それ故、
公安情報に詳しいという売り込みでマスコミによく出演する者が、
テレビで横田めぐみ拉致の国会における質問を、
さもウラを知っているかの如き顔をして「謀略です」と発言していた。
まったく、国会にもマスコミにも、
戦後日本には、いい加減な奴らが生息している。

この戦後の偽善のなかで、
十三歳で拉致された横田めぐみさんと
父の横田滋さんと母の早紀江さんの三人の親子は、
図らずも娘が北朝鮮に拉致されることによって、
天に選ばれたように、
想像を絶する苦痛に耐えて、
全日本に、戦後日本の欠落と国民を守る国家体制のあるべき姿を示す役割を
担うことになったのだ。
しかし、
この北朝鮮によって十三歳の時に拉致された横田めぐみさんの存在によって
我が国に湧き上がった拉致被害者救出の国民運動のなかで、
平成十四年九月十七日に、
我らが目の辺りに見た
戦後国家の最大の危機を断じて忘れてはならない。
この日の、
小泉純一郎総理の平壌訪問と日朝首脳会談は、
拉致被害者救出という国民的願望の盛り上がりに乗って、
実は、拉致被害者より日朝国交樹立という功名を優先し、
その為に、我が国が、核開発を続ける独裁国家
「核開発のための巨額の資金を提供する世界最大のテロ支援国家
に転落する瀬戸際までいった妄動だったのだ、

振り返れば、
平成十四年(二〇〇二年)までに我が国政府(小泉内閣)は、
朝鮮総連傘下の日本各地の破綻した朝銀に、我らの反対を無視して、
総額一兆三千六百億円の公的資金の投入を終えている。
いうまでもなく朝銀は、
日本における朝鮮系商工人のカネを預かり本国の北朝鮮に送金する機関である。
それが破綻して、何故我が国の公金を投入するのか。
同時に、
前年暮れ十二月に九州南西海域で沈没した北朝鮮工作船の引き上げ調査を、
日本政府(小泉内閣)は平成十四年の九月になるまで、十ヶ月間、実施せずにいた。
これは、工作船に積まれた覚醒剤等の証拠物が
海中で溶けてなくなるのを待つ為であろうか。
いずれにしろ、北朝鮮が、
朝銀への一兆三千六百億円投入と不審船引き上げ調査の遅延を見届けた上で、
同年九月十四日の、小泉総理訪朝と日朝首脳会談の日程が発表されたのだ。

この時、拉致被害者救出国民運動の盛り上がりのなかで、
日朝間の緊急を要する深刻な問題は、
横田めぐみさんをはじめとする北朝鮮に拉致された日本国民の解放であると誰もが思っていた。
従って、誰もが、
小泉総理が北朝鮮の独裁者の金正日
拉致被害者救出を目指して直談判をするために平壌に行くことになったものと思い、
国民の大きな期待が小泉訪朝に集まった。
また、小泉総理も、平壌訪問は拉致被害者家族と国民の期待を担って実施されるものであるというポーズをとった。これを、羊頭を掲げて狗肉を売る、という。
日朝会談前日の九月十三日に、
総理との面談を求めて首相官邸を訪れた拉致被害者家族会の方々に対して、
福田官房長官は、
総理は、明日の日朝首脳会談に、澄み切った気持ちで臨みたいので、
本日の総理との面談は遠慮させていただきたいと伝えた。
その上で、官房長官は被害者家族に、
明日、皆さんのご家族の消息は、判明次第、
平壌からリアルタイムで皆さまにお伝えします、と約束した。
この官房長官の応対は、あたかも明日の日朝首脳会談の主要議題が、
拉致被害者解放のことであるかの如くではないか。
しかし、事前に、日朝の事務方で出来上がっていた
小泉総理と金正日が署名する「日朝平壌宣言」には、
拉致の「ら」の字もない。

この「日朝平壌宣言」は、
まず我が国の北朝鮮に対する植民地支配の反省と謝罪から始まり、
次に日朝両国の国交樹立と、
我が国が北朝鮮にカネを支払うこと、
我が国が有する北朝鮮に対する請求権を放棄することが約束されていた。
これに対して北朝鮮は、
「日本国民の生命と安全に関わる懸案問題」は、
日朝の不正常な関係の中で生じた問題であるので、
今後再び生じることがないような措置を取ること、
核開発に関しては国際的合意を遵守すること、
そして、ミサイル発射のモラトリアムを約束している。

ここで明らかなように、
北朝鮮は「日本国民の生命と安全に関わる懸案問題」は、
今後再び生じることがないような措置を取る、と言っているに過ぎない。
ここには、長年にわたって北朝鮮が日本から拉致して連れ去った日本国民を
日本に帰すという約束などない。
では、九月十七日の日朝首脳会談で、拉致被害者のことは話し合われたのか。
それは、午前十時頃、議題に上った。
しかし、話し合われたのではない。
冒頭に、北朝鮮から、日本側に、
五名は生存しているが八名は死亡していると伝達され、
死亡者の名と死亡年月日のリストを渡されただけだ。
その時、同席した外務省高官は、後日、我々に、その伝達を受けた時、
「頭が真っ白になった」
と説明した。
つまり、小泉訪朝団は、頭が真っ白になって真に受けたのだ。
このように、愕然とした日本側は、
その死亡リストを真に受けて真実と鵜呑みにして、
東京に「死亡」と連絡し、東京では官房長官が、同日夕刻五時頃、
外務省飯倉公館に拉致被害者家族を集め、
一家族ごとにそれぞれ個室に呼び入れて、
官房長官と外務副大臣が厳かに
「残念ですが、あなたの息子(娘)さんは、既に死亡されておられます」
と死亡宣告をしたのだ。
拉致被害者の家族は悲しみに打ちひしがれ、全国民は驚愕した。
しかし、前日の官房長官が、家族に、
リアルタイムでご家族の消息を伝えるという約束は守られなかった。
北朝鮮からの伝達は午前十時で、日本側が家族に伝達したのは午後五時頃だ。
何故、約束は守られなかったのか。
その理由は、リアルタイムの午前十時に、東京で家族に伝達しておれば、
国民感情は憤怒に変わり、平壌での平壌宣言への調印に支障が出る恐れがあると懸念したからではないかと推測する。
つまり、小泉首相と訪朝団の主目的は、日朝国交樹立にあり、
北朝鮮が拉致した日本国民の存在は、
その国交樹立の「障害物」と認識されていたところ、
拉致被害者が死亡したならば、障害物は無くなる。
こう思って日朝首脳は、平穏に、平壌宣言に署名した。
両国交渉団は、
これで九月十四日は終わったと思ったことだろう。

また、生存していると告げられた五名は、平壌に集められており、
日本外務省事務官が面談して本人かどうかを確認し、日本へ帰国するかどうか尋ねた。
すると彼等は日本に帰国せず首領様の北朝鮮に留まると事務官に言った。
また、北朝鮮が死亡したと告げた八名の家族には、
東京で家族に対する死亡宣告を済ませた。
家族が葬式をすれば、これで拉致問題は終わる。
よって、
これから署名した平壌宣言通り、日朝国交樹立の交渉が十月から始まる。
そして、北朝鮮には
目もくらむような巨額のカネが日本から支払われ、
小泉総理と外務省には
戦後外交の最後の懸案事項である日朝国交樹立の功名が転がり込む。
そこで、北朝鮮は、
日本側に日本人が喜ぶトラック二台分の松茸をプレゼントし、
日本側はそれをありがたく受け取って政府専用機に積み込み、
日本を目指して飛び立った。
そこで言っておく、
小泉訪朝団は、北朝鮮に騙されに行って騙されたまま帰路についたのだ。
拉致被害者八名死亡は嘘だ。
また、北朝鮮平壌宣言で約束した
核開発に関する国際法遵守とミサイル発射のモラトリアムは、
皆、破られて北朝鮮は核実験をしてミサイルを発射している。
破る約束をすることを騙すという。
小泉訪朝団は、総てのことで騙されに北朝鮮に行った。
とはいえ、騙されて、
彼等は一日が終わったと思い、
しかも、トラック二台分の松茸をもらった連中だ、
ホッとして、機内でワインでも飲んだのではないか。

しかし、東京では、
まだ九月十四日は終わっていなかった。
その時、私は、死亡宣告をした官房長官のいる官邸に電話をかけて、
官邸に半旗を掲げろと言った。
そして国民の悲しみと北朝鮮に対する憤怒の思いのなかで、
衝撃の死亡宣告を受けた家族の記者会見が始まったのだ。
この時の状況を振り返れば、
オーストリアユダヤ人作家であるシュテファン・ツブァイクが、
劇的な緊張の時間、運命を孕む歴史的瞬間のことを
「星の時間」
と表現したことを思い起こす。
それは、大気中に充満する電気が
避雷針の尖端に集中して稲妻になり雷鳴を轟かすような瞬間のことだ。
確かにこの時、
総理大臣と外務省が演出した我が国の戦後の惰性に痛撃が下った。
まさにこの時、
小泉訪朝団が、世界最大のテロ支援国家に転落する淵にもっていった我が日本を、
十三歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親が救出したのだ。
この「星の時間」から見れば、
日本海政府専用機で東京に向かって飛んでいる
国益に反する虚飾の功名にかられた小泉訪朝団は
「小僧の使い」にも値しない「有害な虫」のような連中だった。
この小泉訪朝団の一員だった安倍総理は、
ぼつぼつ、その実態を語るべきだ。
何故、騙されたのか・・・!
何故、松茸をもらって帰ったのか・・・!

衆議院議員会館で行われた記者会見は、
マイクが置かれたテーブルに家族会会長の横田滋さんが座り、
並んで、
死亡宣告を受けた有本恵子さんの父有本明弘さんが座っていた。
その後ろに母親の横田早紀江さんと有本嘉代子さんが立っていた。
どういう訳か、横に、拉致被害者救出集会で見かけたことはないが、
こういうカメラの前にだけ姿を見せる議員も立っていた。

まず、横田滋さんがマイクに向かって話し始めた。
しかし、話し始めると同時に涙が溢れて絶句し、
話そうとしても声が出なくなった。
その時、夫を労るように後ろにいた横田早紀江さんが話し始めた。
感銘深く強く心に残る話であったので、後に、早紀江さんに
「あの時、話されたことは、予め準備されていたのですか」
と尋ねた。
すると早紀江さんは
「いいえ、主人が泣き崩れて声がでなくなったので、
とっさにしゃべり始めてしまったのです」
と答えられた。
即ち、あの時、
横田めぐみの両親、夫と妻は、一つに溶け合って語ったのだ。
次に、その時、
横田早紀江さんが滋さんに替わって話したことと、
約一ヶ月後の皇后陛下の御誕生日に皇后陛下が語られたことを記しておきたい。
想像を絶する悲しみのなかで、
これほど凜として、
娘の運命を祖国の大義に結びつけた母がいる我が日本に、
誇りを感じる。
そして、この情景を見守っておられたに違いない
天皇皇后両陛下がおられる
我が日本の國體に深い感謝の誠を捧げたい。

絶対に、この何もない、
いつ死んだかどうかっていふことさへ、分からないような、
そんなことを信じることはできません。
そして、私たちが一生懸命に、支援の会の方々と力を合わせて闘ってきた、
このことが、かうして大きな政治のなかの大変な問題であることを暴露しました。
このことは、本当に日本にとって大事なことでした。
北朝鮮にとっても大事なことです。
そのようなことのために、
本当にめぐみは犠牲になり、
また、使命を果たしたのではないかと私は信じています。
いずれ人は、みな、死んでいきます。
本当に濃厚な足跡を残していったのではないかと、
私はそう思うことで、これから頑張ってまいりますので・・・。
本当にめぐみのことを愛してくださって、
めぐみちゃんのことをいつも呼び続けてくださった皆さまに、
心から感謝いたします。
まだ生きていることを信じ続けて闘ってまいります。
ありがとうございます。

 小泉総理の訪朝とともに、
一連の拉致事件に関し、始めて真相の一部が報道され、
驚きとともに無念さを覚えます。
何故、私たち皆が、自分たちの共同体の出来事として、
この人々の不在を、
もっと強く意識し続けることができなかったのかとの思いを
消すことができません。