「国家再興」の具体的着手点は眼前にある!

平成29年6月27日(火)

「戦後体制からの脱却」とか「日本を取り戻す」とかのスローガンは、
安倍内閣になってよく語られる。
このスローガンは、即ち、「我が国家の再興」を目指すものである。
では、スローガンではなく、
その「実践論」、
さらにその実践の「着手点」、
は語られているのか。
残念ながら、それは、
語られるどころか、意識すらされていない、のではないかと思える。
考えてもみられよ、
「戦後からの脱却」や「日本を取り戻す」と言いながら、
その論者が靖国神社に参拝しない、参拝できない、
いったい、これは何を意味するのだ?
つまり、彼もしくは彼女は、
実践する意識すらなく、スローガンだけを掲げているということではないか。
そこで、この度、
金沢市で開かれた「小松基地友の会」主催の集会で「実践論としての国家の再興」を語りたく整理したので、その国家の再興の「着手点」を記したい。

驚くべきことに、その「着手点」は、
ただいま現在も、我が国に突きつけられている。
しかし、我が国は着手しようとしていないのだ。
あたかも、「日本を取り戻す」を掲げながら「靖国神社に参拝しない」のと同じだ。

(実例1)、尖閣諸島の実効支配確保
我が国政府は、アメリカのトランプ政権に、
日米安保条約第5条は尖閣諸島に適用される、と言ってもらって安心している。
しかし、その適用は、我が国が尖閣諸島を「実効支配」しているのが前提である。
では、点検する。
①我が国政府は、尖閣に日本国民が上陸することを阻止している。
その理由は、中共が「怒る」からだ。
つまり、中共は、尖閣に力を及ぼし日本政府はその力の前に萎縮している。
中共の公船は、ルーティーンワークとして尖閣周辺の我が国領海を侵犯している。
そして、我が国の巡視船に公然と
「ここは中共の領海である」と応答している。
つまり、中共の公船は、中共尖閣侵略の目的を公然と示して、
我が国の国家主権を侵犯しているのだ。
これに対して、我が国の巡視船は、
この中共の公船を撃沈することなく見守っているだけだ。
③我が領海で我が国の巡視船に体当たりして公務を妨害した中共漁船の船長を、
我が海上保安庁は逮捕したが、
菅直人内閣は、中共の圧力のなかで釈放した。
これ、我が国は、中共と国際社会の面前で、
尖閣領海内の我が「法治国家の原則」すなわち「主権」を放棄したのだ。
尖閣周辺の漁場では、
中共の漁船が操業し、我が国の漁船は操業していない。
というより、我が国の漁船は、
中共の漁船団によって操業を妨害されて操業できなくされている。
 国際社会が、以上の①~④の現状を総合的に判断すれば、
尖閣諸島の我が国の実効支配は「有名無実」であり、
尖閣は、日米安保条約第5条の適用外の地となりつつある
との結論にいたる可能性が、日々、中共によって拡大されつつある。
よって、この尖閣における
「戦後体制からの脱却」と「日本を取り戻す」=「国家再興」の着手点は、
警告を無視して公然と我が領海を侵犯する中共の公船を
我が国が公然と撃沈することである。

何をぐずぐずしている、速くやれ、撃沈しろ!
と言いたい。

(実例2)、北朝鮮による拉致被害者の救出
我が国の内閣は、
能登半島から三鷹市のガードマンが北朝鮮工作員によって拉致された
宇出津事件に遭遇した福田赳夫内閣以来、
北朝鮮は国家として日本人を拉致している」ことを知っていた。
よって、その時、直ちに北朝鮮の日本人拉致を、
自衛隊や警察を総動員して阻止することが
日本を取り戻す「着手点」であった。
しかし、何もしなかった。
従って、安倍内閣は、
トランプ政権が、
過去二十年におよぶアメリカの対北朝鮮政策が誤りであったと認めたことを見習って、
福田内閣以来の北朝鮮の日本人拉致を知っていて、
見て見ぬふりをしたことは
誤りであり国民への裏切りであったと公言したらどうか。
この公言が「着手点」である。
その上で、
自衛隊による拉致被害者奪還の決意を固め
その準備に入ることが実践の第一歩である。

(実例3)、対テロ
1977年(昭和52年)9月28日~10月1日、日航ダッカハイジャック事件
   同年10月13日~17日、ルフトハンザ機ハイジャック事件
日本(福田首相)はテロ犯人の要求に従う、
西ドイツは特殊部隊GSG-9を機内に突入させて犯人を射殺して人質全員を救出。
何故、我が国はこの時を境に、特殊部隊創設に踏み込まなかったのか。
我が国自衛隊の特殊部隊である「特殊作戦群」創設は、
実に26年後の2004年(平成16年)3月になってからである。
ちなみに、
西ドイツはGSG-9を、1972年、ルフトハンザ機事件の5年前の
ミュンヘンオリンピックの選手村が「黒い9月」(ブラック・セプテンバー)というパレスチナ過激派に襲われた事件を契機として創設している。
我が国も同年の1972年、
浅間山荘事件で日本赤軍の銃撃で3人の警察と民間人が射殺されているのだが、
西ドイツのように特殊部隊創設への問題意識はなかった。

(実例4)、対核弾頭ミサイル
1977年9月、西ドイツのシュミット首相は、
ソビエトからNATO(西ドイツ)に向けて実戦配備された
中距離核弾頭ミサイルSS20に対して、
同じく中距離核弾頭ミサイルパーシングⅡを導入して実戦配備した。
その上で、強力な軍縮圧力をソビエトにかけてソビエトにSS20を撤去させた。
痛恨の思いではないか。
この時、我が国も西ドイツと同様に
ソビエトの中距離核弾頭ミサイルの射程内にあった。
何故、我が国は、また、時の福田首相は、
西ドイツのシュミット首相のような危機意識、問題意識を持たなかったのであろうか。
この時、ユーラシア大陸の東と西で、
西ドイツと日本が、申し合わせて、
ソビエトに対して同じ核弾頭ミサイル抑止の体制を構築しておれば、
現在のように我が国が、ロシアと中共北朝鮮の北と西と南の三方向から
一方的にミサイルの脅威を受けるという事態は起こりえなかったであろう。

以上の通り、
「戦後体制からの脱却」、「日本を取り戻す」即ち「国家の再興」
を実践する絶好の事態は、
将来にあるのではない。
その事態は、今までたびたび我が国に迫っていたし、今も迫っている。

従って、まず明日の朝、
総理大臣および閣僚は、靖国神社に参拝せよ。
そして、
定期的に、尖閣周辺の領海に当たり前のように侵入してくる
中共の公船を直ちに撃沈する。
同時に、
北朝鮮に抑留されている拉致被害者
奪還する作戦準備を自衛隊に伝達し、奪還命令を出すまで待機させる。
抽象的なことではなく、具体的なこれらが、
戦後から脱却し、日本を取り戻す実践の一歩だ。
即ち、国家を守り国民の命を救う、
この、当たり前のこと速やかに実践せよ。

 

西村眞悟の時事通信より。