日本が日本である限り日本人は特攻隊員となる

平成30年9月7日(金)

九月二日には、高野山奥の院に建てられた「空」の墓碑の前で
陸軍挺身落下傘部隊の将兵の慰霊祭が、
遺家族、全日本空挺同志会会員、陸上自衛隊第一空挺団長および団員
第三師団音楽隊そして信太山に駐屯して高野山を含む近畿地方南部を守備領域にしている
陸上自衛隊第三七普通科連隊連隊長
らが出席して行われ、それに参列した。
九月三日は、靖國神社で、
特攻隊を創設して十死零生の特別攻撃を開始し、
終戦に際しては介錯なしに切腹して長時間苦痛に耐えたあと自決した
大西瀧治郎中将と全特攻隊員を偲ぶ会に出席した。

この二日とも、
日本人が日本人である限り、
甦り続ける
「今日死ぬことがよく生きることだ」
と思い切って
微笑みながら散華した英霊を偲ぶ日であった。

よって、
大阪北部の地震のあとで、
猛暑のなかの豪雨と河川の氾濫と山からの土石流の被害があった八月が終わり、
九月に入って、
高野山靖國神社の二日にわたる英霊の慰霊ののちに
巨大台風が襲来した直後の、九月六日、北海道に震度七の地震をもたらして
去って行く平成の御代の最後の夏の終わりに
我が日本が、このような英霊を生み出し続ける淵源を
私なりに無知を顧みず直感で記しておきたい。


(はじまりは神話だ)
われわれ西洋人にとっては、
神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵がひらいている。
日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、
そこでは誰もが歴史とも神話とも密接な絆をむすんでいられるという点にあるのだ。
   フランスの社会人類学者クロード・レブィストロース(1908~2008)

このフランス人の指摘通り、また指摘されるまでもなく、
我が国にとって、
「国譲りの神話」こそ重要である。
それは、こういう物語だ。
天照大神の使者が出雲の浜に上陸して大國主に言った。
「汝が『うしはける』葦原の中つ國は、、我が御子の『しらさむ』國ぞ」
さらに、使者は、
大國主の「うしはく國」を
天照大神の御子の「しらす國」に譲れと望んだ。
すると、大國主は
自分の國を天照大神の御子の「しらす國」にする為に國を譲った。
そして、葦原の中つ國即ち日本は、
天照大神の御子の「しらす國」になり、
大國主は日本がある限り神として祀られることになった。
まさに、平成十五年、出雲大社を参拝されて詠まれた
皇后陛下の次の御歌の通りなのだ。
   
  國譲り祀られましし大神の奇しき御業を偲びて止まむ

この國譲り、
まことに奇しき御業である、
この御業により日本が日本になったのだから。
この御業により天照大神の御子である天皇を戴き、
今に至る君民一体の國日本が創造された。

従って、我が国を思う場合、
古事記の研究に生涯をかけた本居宣長
大日本帝国憲法起案に当たり寝食を忘れて古典研究に没頭した井上毅が注目した
「古代やまとことば」の
しらす」と「うしはく」
の違いを知ることが肝要で、
これによって、日本を知ることになる。

しらす・・・人が外物と接する場合、即ち、見るも、聞くも、嗅ぐも、飲むも、食うも、
     知るも、みな、自分以外にある他の物を、我が身に受け入れて、
     他の物と我とが一つになること、
     即ち、自他の区別がなくなって一つに溶けこんでしまうこと
うしはく・・・ある地方の土地、人民を、
       我が物として、
       即ち我が私有物として、領有支配すること 
               (元侍従次長木下通雄著「宮中見聞録」より)

よって、大國主の國譲りによって天皇の「しらす國」となった我が国は、
天皇と国民が溶け合って一つになった國」、
即ち、
天皇と国民が一つの家族のように自他の区別なく溶け合った國」である。
これが、我が国の國體だ。

三島由紀夫が命にかえて守るべきものとして挙げた
天照大神の天壌無窮の神勅には、
  豊葦原千五百秋の瑞穂の國は、
  是吾が子孫の王たるべき地なり
  宜しく爾皇孫就きてしらせ、
とある。
つまり、天照大神は、皇孫に、
君民一体となってこい、
家族になってこい、
と命じられている。
この「しらす」を前提にして、
神武天皇の橿原建都の令・八紘一宇の詔がある。
従って、
「八紘一宇(あめにしたをおほいていえとなす)」
の真意は明らかである。
つまり、神武天皇の詔は、
皆、同じ家に住もう、即ち、家族になろう、
と呼びかけられているのだ。

さらに、万葉集第一巻冒頭の歌は、
雄略天皇の春の岡で菜を摘む乙女に対する求愛の歌であるが、
その天皇のことを
泊瀬朝倉の宮に天のしたしらしめしし天皇(すめらみこと)の代(みよ)
と書かれているのである。
雄略天皇は、
岡で菜を摘む娘と自他の区別がなくなり一体となった。
そこから生まれた御子が男子ならば、
天皇になる。
即ち、天皇と民は家族だから、
日本中の全ての女性は天皇の母になる。
これが、天皇しらす國における
男系による万世一系皇位継承のあり方である。
万葉集の編者は、
その第一巻の冒頭に
天皇の岡で菜を摘む娘への求愛の御製を掲げて、
遥か未来の我々に対して、
天皇と我らは一体で家族なんだから、
岡で菜を摘む乙女が天皇を産むんだよ、
と、天皇しらす國の皇位継承をあり方を、
分かり易く語りかけてくれている。

平成十三年、海上自衛隊に特殊部隊を創設した
海上自衛隊中佐伊藤祐靖は、
退官後にフィリピンのミンダナオで業の修行に打ち込む。
その時、伊藤と同じ業の修練に励む二十歳そこそこのミンダナオの娘が、
水深六十メートルの海底に沈む日本の軍艦から
銅板の天皇詔書を引き上げてきた。
そして、娘は何と書いてあるのか伊藤に尋ねた。
そこで伊藤は、その詔書のを翻訳して娘に見せた。
すると娘は、
「あなたは、これは、エンペラーが書いた命令文だと言った。でも違う。」
と言ったのだ。
「何を言ってんだ、これは確かにエンペラーが書いたものだ」
と反論する伊藤に
娘は次の通り言った。
「でも、命令していない。こいねがう、としか言っていない。
エンペラーは、願うんではなく、命令するのよ。
エンペラーが願っても何も変わらないでしょ。
願うだけで変えられるのは部族長だけよ」
「部族長?天皇陛下は部族長だというのか。?」
「こいねがう、と言っているんだから、
これを書いた人は部族長なの。
これは部族の長が書いた。リクエストなのよ。」
              (以上、伊藤祐靖著「国のために死ねるか」より)
まさに、このミンダナオの二十歳そこそこの娘は、
国をしらす天皇の本質、
天皇しらす国の本質を、
見事に言い当てている。

それで伊藤は自己嫌悪に陥ったという。
なんで、ミンダナオ島の二十歳そこそこの奴から、
詔書の真意と日本という国の本質を教えられてしまうんだ、と。

さて、
いよいよ言いたいことの要点に近づいてきた。
それは、
神話に淵源する万世一系天皇と我らが
遥か神話の時代の祖先から今まで一体となった家族の国であること
日本と日本人の特色だ。

それは、
外国人がいうように美しい国、穏やかで親切な人々、そして繊細な工芸品を生み出す国、
等々であろう。
これが日本国と日本人の評価の主流だろう。
しかし、
眞の日本人の特色とは、
以上のように平穏な時に顕れるものだけではなく、
国家存亡の危機において顕れるものこそ、
真の日本と日本人の卓越した特色なのだ。
明治陛下の御製

敷島の大和こころのををしさは事あるときそあらわれにける

これだ。

天皇と全国民が一つの家族のような「天皇しらす國」においては、
家族を守る為に死ぬことがよく生きることになる、
死しても家族の中に生きて死なない、
よって、
いま死ぬことがよく生きることになる。
七生報国楠木正成、広瀨健夫)、
留めおかまし大和魂吉田松陰))、
願わくば魂魄を留めて皇城を護らん(西郷隆盛)、
身は魂魄となるとも皇城を護らん(近衛歩兵第一聯隊跡の碑)
となる。
これが日本と日本人の最大の特徴だ。

東日本大震災の時、
自衛隊の中央即応集団の司令が、
ヘリコプター団の司令に、
明日、福島第一原発の原子炉建屋の上から大量の水を撒けと命じた。
翌朝、ヘリコプター団の自衛官達は、
ためらうことなく灼熱の原子炉建屋の上に
二機の大型ヘリCH47チヌークをホバリングさせて
約四十トンの水を落とした。
この作戦を知ったアメリカ軍の将官は、
「人の命を何とも思わないような作戦はするな」
自衛官に言った。
この散布の様を見た中共人民解放軍将校は、
「日本人は戦前とちっとも変わっていないなあ。
簡単に命をかけてくる。
もし中共が核弾頭ミサイルを日本に照準を当てて発射準備をすれば、
日本人は間違いなく
ジェット機に爆弾を満載してミサイルに突っ込んでくるだろう」
自衛官に言った。

我が国が
天皇しらす國」
である限り、
日本人は、国家の危機において、
何度も特別攻撃隊員となり義烈空挺団員となる。
何故なら、
日本人は天皇を中心としてみな家族であり、
死んでも死なないのだ。

 

 

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